車中泊旅日記/北陸信州関東東海キャラバン 〜白き飛沫と気高き嶺に大自然の息吹を感じて〜
2016.12.15 でんでん虫放浪隊ロングキャラバン3日目
どうも、acsekitoriことシバク・ドワレです。
朝起きてみると、ごく僅かに冠雪していました。今シーズンの始まりです。
天気は、晴れたり曇ったりみぞれになったり雨が降ったり。冬の北陸を象徴するような目まぐるしさです。
すぐ近くの雨晴海岸にやって来ました。あいにくここからの白眉、劔立山は雲の中ですが、波の造形を楽しむ事ができました。
代わりに富山市に着く前から、屏風のような大山脈が姿を現してくれました。私にとって後ほど訪れる白馬岳と共に、大学山岳部時代に足繁く通った故郷の山々。山頂は見えなくとも、私には手に取るように全貌が浮かんできます。
R8をどんどん北上して、入善にさしかかると突然雪国に変貌しました。日本海は完全に冬支度。打ち寄せる波にしっかりと耐える親不知の断崖絶壁。
しかし、いにしえには親と子が離ればなれになったこの難所も、今は全てシェルターに覆われた一級国道で難なく通過できます。
北陸道親不知ICの高架下にある、道の駅親不知ピアパークにて小休止。
海を離れて内陸へ
糸魚川から進路を東に変え、姫川沿いを遡ります。越後最南端の秀麗な山々が出迎えてくれました。
この塩の道は、私が若かりし頃は断崖を縫って走る、それはそれは大変なルートで、冬は難儀したものです。
それが今やほぼ一直線のトンネルが開通して、夏タイヤでも走れそうな快走路に。隔世の感があるとはこの事でしょう。
はるばる二泊三日を費やして、やってきました白馬村。白馬岳を盟主とする白馬三山は雲の中でしたが、幾度となく厳冬期に挑戦した五龍岳が気位高くそびえています。
八方尾根もすっかり冬化粧で、スキーシーズン幕開けですね。
2時間ほど滞在して撮影し、酒をイオン系安売りスーパーのBIGで調達して後ろ髪を引かれながら白馬村を後にします。
このあたりに来た時は必ず立寄る、穂高駅前の肉のマルト。馬刺しを求めるからですが、この日は解凍済みのは残り僅か。滑り込みセーフで買い求め、スライスしてもらいました。
この日のしとねは長野道の梓川SA。早速あったかい味噌ラーメンで人心地つきます。まだ車外気温は1℃ですが、妻にとっては一大事。
後はお楽しみの宴会です。道の駅小谷で仕入れていた地ビール、軽井沢ブラウンビールと赤ワインで馬刺しを堪能しました。
夜中に起きてトイレに出ると、降ってくれていました。気温はようやく氷点下の1度。
雪国の方にはホンマ申し訳ないですが、もう少し降って欲しいです。装備は万全で邪魔はしませんので。
さあ、まだまだ続く東征の放浪。世が明けた今日は休養日としてノンビリしましょう。
2016.12.16
車中泊旅日記/北陸信州関東東海キャラバン 〜赤橙黄緑青藍紫もう屈折しそう〜
2016.12.14 でんでん虫放浪隊ロングキャラバン2日目
どうも、acsekitoriことシバク・ドワレです。
朝起きたら狐の嫁入りでした。
北の空は冬型気圧配置で時雨模様。南はカラッと晴れています。
こんな日は…と思っていたら、案の定虹が出ました。
妻がAndroidで撮ってくれましたが、綺麗にフルにアーチがかかっています。
野外生活が長い私にはあまり感動を呼び起こすものでもありませんが、街っ子の妻にはたいそう珍しいらしく、目をまん丸にして写真を撮りまくっていました。
彼女曰く
「隊長、あの虹はいつになったら追い越せるんですか?」
私
「う〜ん、それは、永遠の謎かけやなぁ。届くと思って努力しても、いつまでも追い越せない目標。ワイにとってはつかみどころのない、まさに虹のような、いつまでも追い続ける夢のようなもんや」
と応えておきました。
やはり自然の造形は、どんな絵画や写真も足元にも及ばないパーフェクトアートですね。
人間がいくらクリエイターとかなんとか言っても、一網打尽にやっつけられてしまいます。
あ、その前に、宿の真ん前にデッカい平和堂がありましたのでついでに寄りましたら、雪国バージョンになってました。
ご苦労様ですが、羨ましいです。
体力・経済力・病気回復力があるならば、今すぐにでも雪国に移住したいです。
雪かきの大変さを知った上での発言です。
無理やろなあ。末期がんやもんなあ。
なら、いまできる遊びをするまでです。日本や世界の政治の動きなど知ったもんか。今が楽しければそれで良い。さあ、刹那主義の発動でっせ。
楽しみに着いたものの
着きました、本日のねぐら、道の駅氷見。
刹那主義で、ここにある番屋街の寿司をたらふく食べて浮世を忘れて弾けようと、楽しみにやって来たグルメ道の駅。
しかし、そんな私の煩悩を、神々やいにしえの高僧、及び御先祖達は見抜いていました。
「なあ、おまえ。まだまだ修行の最中で、そんな贅沢して良いと思っているんかえ?」
そうなんです。ちゃんとネットで調べて、1/1しか定休日が無いと判ってここに来たのに、寿司屋を始め番屋街の高級食堂街は見事に閉まってました。
なんでか知りません。知りたくもないです。
急いで近くのスーパーに買い出しに走り、またまた半額惣菜のオンパレード。
まあええわ。これがワイの人生やろ。
ありがたい事に、併設の温泉は開いてました♨️
身体だけあったまり、ココロは冷えたまま冷たい惣菜で乾杯しました。
はあ、キトキトの寿司を食いたいなあ。
2016.12.14
車中泊旅日記/北陸信州関東キャラバン 〜でんでん虫放浪隊発進!〜
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2016.12.13 でんでん虫放浪隊ロングキャラバン初日
どうも、acsekitoriことシバク・ドワレです。
やってまいりました、年忘れキャラバンの出発が。雨ですよ〜、初日から。
まず、お仕事を片付けます。大阪はミナミでカンタンな取材が午後に入ってますので、10時30分にキャラバンの装備を積み込み開始。
昨夜に大半を積んであったので、楽勝です。機材やPCなどはグラを離れる時に車内に放置は厳禁ですので、昨夜のうちに車上荒しにあっても大過ないものは終わっています。
妻がグラで昼寝しているうちに取材終了。MacBook Proでささっと処理して、データを焼いて発送しました。こんなときも移動式事務所は便利ですね。
しかし、大阪を脱出しようにも、雨の夕方。エゲツない渋滞で、まさにカタツムリ走法です。
始まりはいつも雨
今宵のしとねは湖西に決めているのですが、我が家は当然の如く下道走破です。
2時間かけてようやく京都に辿り着き、東寺の五重塔をかすめました。
雨は時間を経るごとにどんどん強くなっています。京都市内は明るいので良いのですが、山科で王将の中華を持ち帰りした後、R161バイパスに入ると真っ暗で、車線もよく見えません。
慣れない方は、こんな条件での運転は避けたほうが賢明です。
私も、グラの4WDに助けられながら、轍に溜まった池のような雨水をかわしてなんとか安全運転を続けます。
当初は湖西道路のSA代用を兼ねている道の駅妹子の郷で寝ようと思っていましたが、ここは駐車スペースからトイレが遠い。
雨くらいで車内のトイレを使うのもアレなんで、もう少し走って高島市安曇川町にある、道の駅藤樹の里あどがわまでもうひと走りしましょう。
そこなら、トイレ前のスペースが確保できるはずです、平日ですから。
ようやく藤樹の里に着きました。案の定、トイレ前は空いています。身障者用はもちろん使わず、無印に駐車します。土砂降りとまではいきませんが、かなりの降りです。
こんな時は、さしものホテルグランビアもトイレがツライ。しゃあないでんな。
早速マルチシェードで窓に防寒対策を施し、宴の始まり。食器は味気ないし、少々油が胸をつきますが、まあ美味しくいただきました。
関西人にはやはり王将の餃子ですね。今回は宇都宮や浜松を通過する予定ですので、どう違うのか食べ比べてみましょうか。
私は大筋の計画は立てますが、気象・体調・懐具合などなどで臨機応変に予定を変更しますので、あえて、どこに行く。ここを見て回る。とは宣言しません。
今回は最近再燃した少年時代の熱き心、鉄道写真撮影をメーンにまだ見ぬ土地を珍道中しようと思っています。
かなり変態的放浪癖のある我が夫婦、あまり一般の方向けのガイドブックにはならないでしょう。
さあ、雨の後の西高東低による豪雪を夢見て、今宵はグラスを置きましょう。
あ、グラスやのうて使い捨てプラスチックコップやったわ(笑)
2016.12.13
旅日記/車中泊 〜ホテルグランビア新装オープン〜
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2016.12.12 旅日記
どうも、acsekitoriことシバク・ドワレです。
昨日、グラのリフォームが完了しましたので、早速試寝に出かけました。
場所は拙宅からいちばん近い道の駅、奈良県平群町の「大和路へぐり くまがしステーション」。翌日の予定にも良い位置関係なので、ここに決めました。
夕方まで仕事と雑用を片付け、19時前に出発です。予約不要で思い立ったら即行動できるのが車中泊放浪のメリットですね。
いま各地の道の駅やサービスエリア等で車中泊が大流行りです。休日などは小さめの道の駅では、駐車スペースに困るくらいです。
中には流行っているし、宿代もかからないから安く旅行ができる、との動機で始める人も多いのではないでしょうか。
人様の遊びの動機なんぞどうでもよいのですが、車中泊の真のメリットは経費を浮かす事よりも、先述の予約不要な自由奔放さではないでしょうか。
経費だけなら、古めのビジホをネット予約して、ホカ弁でも買ったほうが安いかもしれません。なぜなら、車中泊だとついスーパーで自宅のメシなら絶対買わないような豪華な寿司や刺身などを買ってしまうからです。
ほ〜ら、出た。贅沢な!と思われるでしょうが、我が家が遅めの出発をする理由の一つは、スーパーの半額タイム狙い。
あまり遅くて閉店間際だと売り切れてますし、17時くらいだとええとこ3割引くらい。
私が狙うのは19〜20時の、一般家庭が夕餉の準備を終えたあたりです。
画像の豪華な海鮮丼が税込¥250ほど。上の造り盛り合わせは、シマアジ・中トロ・ヒラメ・本マグロ赤身が入った、海鮮料理屋なら¥1800くらい取られるのが税込¥480ほど。
これなら、少しだけ普段の食事を切り詰めたらなんとかなります。
いつも惣菜だと続きません
もちろん、時間に余裕がある時、もしくは財布に余裕が無いときは車内で自炊をします。
広くなったホテルグランビアなら、ツーバーナーコンロを設定して鍋も自由自在。いちばん簡単でバランスも良く、満腹感も得られるキングオブ車内メシは鍋やと思っとります。
多少養分は抜けているかもしれませんが、今は大規模スーパーならカット鍋野菜がありますし、鶏肉・豚バラ・タラetc…と、毎日具材を変えたら1週間くらい鍋が続いても苦になりません。それで一食千円を切ります。
苦にならないどころか、病院食や登山縦走時の貧相なメシに比べたら、なんと豪華なことか。
人間、一度贅沢な生活を覚えるとなかなか元には戻れないものですが、究極の貧相な暮らしを経験していると普通の生活の有り難みを知る事ができます。
無論、戦前戦後の日本の暮らしの話は無しです。時代が違いますので。それを持ち出すなら、石器時代の人々の暮らしを優先しないと不公平ですからね。
さて、石器時代の暮らしをしていた私。
このホテルグランビアに、フロントガラス三面に今回新調したマルチシェードを装着してみました。
今までは、リアの五面だけ持っており、フロント三面には百均のサンシェードやペラペラのテントマットを窓の形に切り抜いた代用シェードを張っていたんです。
これだと光は差し込むし、隙間が多くて厳冬期は寒かったのですが、ホンマモンのマルチシェードを全ガラスに装着したところ、素晴らしいの一言。
まず、当然ですが防寒バッチリ。
あと、異様なほど静寂な空間を得られます。
これは良い。定価だとフロント・リアのセットを揃えると3万くらいしますが、私はヤフオクで仕入れましたので1万ちょいでした。
安けりゃ良いってもんでもありませんが、リサイクルの観点からも中古品を積極的に取り入れて、浮いた経費で全国を周る。それが私の信条なのです。
人が使ったものなど気持ち悪いという人がいますが、私はその人が大切にしていたものを有り難く譲り受け、より大事に使っていこうと思っとります。消毒はしますがね(笑)
さてさて、今日明日の仕事を終えれば、いよいよ年末のロングキャラバンに出る事ができます。それが終わればまた入院なので、存分にエンジョイしましょうか。
旅の伴侶は最愛の妻と、自らの手で作り上げたマイムービングホーム。
さあ、でんでん虫放浪隊の再開です。
2016.12.12
改造記/グラ改造 〜より広くより快適を目指して。金はなくとも黄金の御殿〜
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2016.12
どうも、シバク・ドワレことacsekitoriです。
冬に向けて、グラをリフォームしました。いままではベッドスペースの前方に向かって右サイドにカウンターを設け、頭をリアにして運転席を見るように寝たりテレビを観ていました。
これだと寝る直前まで酒をカウンターに置いておけるので便利なのですが、二人並んで厳冬期用ダウンシュラフを広げると幅が狭いのです。しかも、頭がリアゲートのガラス窓直下にあるのでいくらマルチシェードを装着していても寒い。
そこで、カウンター&テレビを最後部に移設し、就寝時は二人の両サイドに何も置かず広々とした空間を作ることにしました。
くつろぎ&就寝時は車内のセンターに頭が来るようになりますので、寒さはマシでしょう。
これがリフォーム前の運転席後ろです。ベッドの端が写っています。これだと足を下ろして座れるので乗り降りは楽なのですが、中央に写っているギャレー(炊事場)が巨大すぎてベッドの長さが175cmしかありませんでした。枕を置くと少々窮屈です。
冷蔵庫もギャレーを使うのに邪魔で、要りません。
このギャレーを分解して最後部に移設します。
ギャレーを分解して搬出したところ。まだベッドベースにはテレビ台とカウンターのベース脚、それに付随する電気ターミナルが残っていますので、これも撤去します。
変えるなら思い切りよく
撤去後。すっきりしました。ここに、ベッド台延長ベースを取り付けます。
ベッドマット延長用ベース。下には計算通り、水洗トイレ(ポルタポッティ)が収まっています。もちろんベースにはL字金具で補強をしてあります。
マットを載せてみました。計算上は、これでリアのギャレー前からフロントシートまでが全てベッドスペースになります。
ピッタリはまりました。マット上にラグを被せましょう。
これで200cm×140cmのダブルベッドが完成。詰めれば大人四人でも宴会ができます。テントと思えば壁が直立している分、快適ですね。
次は、リアゲート下のギャレーとカウンターの設置作業です。
もともと右サイドに取り付けてあったカウンターを、リアに合うよう切断します。ホワイト合板は140cmだったので、そのままでピッタリです。
それをベッドベースの最後部に固定。リアゲートカウンターが完成しました。
後方にギャレー、前方にREGZAを取り付けました。
REGZA横にはツーバーナーコンロと湯沸かし専用のスリムカセットコンロを常設。
カウンター後部の下部カウンターには、カメラバッグ等の機材を置けます。さらに下には排水タンクと発動機式発電機(ジェネ・グレーのエアコン室外機ケースで防臭している)を置きます。
これを道の駅等でさらけ出すのはみっともないので、カーテンも付けてあります。
棚にハンガーラック代わりのパイプを固定。冬はダウン類などのアウターの置き場に苦労しますので、この場所に吊るしましょう。
運転席には何も置かず空けておくのは当然として、助手席にもウェア類等はなるべくは置かず、車内の整頓を心がけておかないと車中泊時に災害等で急に移動するときに困ります。
ベッド後部右側の棚に、電気ターミナルを固定しました。ここには外部電源をつないでAC100V、ソーラーパネルで常時充電しているサブバッテリーからはDC12V、及びDCACインバーターを介して100Vの電気を使うことができます。
上に写っているのはDC12Vの蛍光灯です。
さあ、これで車内のリフォームは完成しました。このリフォームにかかった費用は、補強用の金具などで約500円。元のベッドベースなどは全て転用しましたし、それも数千円しかかかっていません。作業工賃は無料。自分ですから。実に安いキャンピングカーですね。
ギャレーと四分割のベッドマットは、このグランビアを購入した時に付属していました。元は8ナンバーの正式なキャンピングカーだったのです。
もう冬ですので、ついでにスタッドレスに交換しましょう。
しっかり増し締めして、全ボルトを指差確認。この作業もカー用品店に依頼すると3000円くらいかかりますが、自分でやるとタダです。
これで準備万端、いつでも雪の中の楽しい楽しい車中泊へ出かけられます。
どうです?自作の参考になりましたか?
しかし、この広大なベッドを常時設置できるのも、平成10年式のグランビアで定員二名の貨物ナンバーを取得したからです。新し目のミニバンでは貨物ナンバーを取得するのに検査が厳しくなっており、自分で陸運支局でやるにはハードルが高くなっているようですね。
構造変更の申告をせず、ただシートだけを取り外して二週間以降乗り続けると整備不良で切符を切られたり、事故の時に任意保険がおりなかったりする可能性もありますのでやめたほうが良いでしょう。
私も当初は後部座席を残して定員を確保し、座席を倒した上にコンパネを置いてベッドにしていました。それでも充分快適に眠れるのですが、カウンターや大型TV等を固定できないのと、ベッド下の広大な空間がシートに占領されて、荷物が積めないのです。
仕事での写真撮影、趣味でのスキーやキャンプ等、常に大量の荷物と酒を持参して車中泊する私にとっては積載スペースの確保は至上命題でした。
自作されるときは自己責任でどうぞ。
2016.12.11
旅日記/山岳部忘年会 〜大都会の漁港に一年の苦難を忘れる〜
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2016.12.11 旅日記
どうも、シバク・ドワレことacsekitoriです。
昨日、大学山岳部のOB会を大阪キタで開催しました。ほぼいつものメンバーなんですが、みな多忙な時期のためキャンプなどはできず、街飲みです。
しかし、ただ居酒屋へ行ってそのあとバーか立ち飲みへ。。。なんておきまりのコースでは面白くないので、何年か前にできた中之島漁港なる飲み屋でのパーティです。
この後に、本番の忘年会として普通の居酒屋の飲み放題コースも予約してあるので、ここはゼロ次会です。
当然、飲み会なので電車で行きます。鈍行をチョイスしたのでガラガラ。いちばんまえのかぶりつき席をゲットしました。楽しいですね、前を観るのは。
京阪電鉄の最新路線、中之島線終着の中之島駅です。大阪国際会議場の真下にありますので、平日は多くのビジネスマンなどで賑わうのでしょうが、土曜の昼下がりとあって人影もまばらです。
地上に出ると、抜群の青空が出迎えてくれました。
水の都大阪。大阪といえばごちゃごちゃした排気ガスと中小企業の街を連想されるかもしれませんが、ここ中之島界隈は世界に誇れる憩いの場所だと思っています。
なにもなくて良いんです。ただヴェネツィアのように水のほとりで生活し、眺められる。この空間は貴重ですね。
期待して来たのですが
初めて訪れた、中之島漁港。ちょっとイメージと違っていました。先ほどの川のほとりの遊歩道のように、川に面してテーブルとベンチが置いてあるのかと思いきや、テント張りの本屋と、手前外側にあるオープンテーブルだけです。
水面との境には高い堤防があり、この店から川を眺めることはできませんでした。夏は特設の会場ができるのかもしれません。
早速中に入り、品定めです。巨大な生簀があり、泳ぎ回っている魚たちをその場で捌いて提供してくれます。アジとハゲを頼みました。五人ですが、直後に次の食べ放題飲み放題プランがあるので、一匹ずつです。値段はまあ良心的でしょう。
目の前で魚をすくい取るお兄さん。遠くまで旅に来た雰囲気を、西日本一の繁華街のすぐ近くで味わわせてくれます。
陽が当たってるうちは良かったんです。しかし、日陰になったら寒いこと。みなダウンを着込んでいますが、山岳部ならではのドMぶりです。
寒くてもビール!乾杯して旧交を温めます。
ウマズラハゲ、アジ、とらふぐの唐揚です。アジは大好きなので、写真を撮る前に食ってしまいました。味はぷりぷりで最高。とらふぐは少し脂っぽかったですね。
この肴たちには私は本来日本酒を合わせるのですが、ゼロ次会で出来上がるわけにはいきません。ビールだけにしときました。
今年もいろいろありましたが、この乾杯で全て忘れられます。来年も良い年でありますように。
2016.12.10の思い出
雑感/退院 〜お仕事。それは絶対服従の戒律なのか〜
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2016.12.7 エッセイ
どうも、acsekitoriことシバク・ドワレです。
無事、退院しました。早速お仕事です。それは愚痴でも、働けない人への嫌味でもなく、純粋にうれしいのです。
働けることの喜び。重たい荷物を運び、汗をぬぐいながら時が過ぎるのを早く感じる。決まった時間の中で、より効率の良い作業をこなし、明日へ疲れを残さぬよう手早く片付ける。
そういう労働をした後に家庭の安らぎの中でくつろぐ一瞬は、なにものにも代えがたい至福のひと時です。
仕事。労働。作業。job。work。呼び方は数々あれど数あれど、働くのは楽しいですね。もちろん、頭脳的に戦略を練る仕事がやりがいがあるのですが、黙々と単純作業をこなしていくのもなかなか達成感があってよいものです。
それは妻も同じでした。
先日、妻が職場のパワハラで退職しました。パートでしたが、単純に仕事内容がいやだから辞めた、と捉えられるのは心外です。パワハラというよりも、犯罪行為に近いものだったからです。
端緒は妻が帰宅時に異様に不安がるそぶりからでした。
最初は、職場に慣れていない緊張からの疎外感、疲れかと思っていました。しかし話を聞くうちに尋常ではないことが判明してきたのです。
具体的に事象を聞き取りしていくと、以下のような内容です。
私は物事を客観的に捉える性格ですし、ここ何年かはあまりに自身にふりかかる数多の災いに、まるで警察官や消防官のように冷静にアクシデントに対処するような死生観ができていますので、淡々と述べます。
事の始まりは、採用後すぐでした。私の居住している地域にあるうどん屋だったのですが、面接ではある程度厨房を経験した後、ホールに出て接客するとの内容だったのです。
それで厨房から始まったのですが、そこには古くから勤めているらしい同じくパートのオバさんがいました。齢は60前後。そのオバさんの不良行為は、妻に挨拶を強要することから始まりました。
挨拶するのは常識中の常識。それは小学生でもします。しかし、その仕方がオバさんの逆鱗に触れたらしいのです。
まず、そのオバさんが先に出社して作業をしていると、すぐ横に行ってお辞儀をして大きな声での挨拶を強要します。本人は耳があまり良くないのか、作業をしているからか、2mも離れて挨拶すると極めて不機嫌になるそうなのです。
「おまえ、挨拶は!!」
と、恫喝しながら、強要です。
それでも、妻はそういう職場なのだろうと、従っていたそうです。
ところが、最初の挨拶の仕方が気に入らなかったのか、そこからイジメが始まりました。妻はおとなしい性格なので、挨拶も作業も少し控えめなところがあるのです。
それでも言われた作業を教えられた通りにこなし、他のパートさんからは褒められていたそうです。
しかし、そのオバさんは少しでも自分の思い通りに行かないと、烈火のごとく暴言を吐き、責任者である店長の指示とは違う作業内容を強要して来たそうです。
パワハラなんてものではなく、恫喝
これ以上はあまり具体的には書けませんが、とにかくいま世間でよく言われているパワハラですね。
私は在宅中・入院中に関わらず、妻のパート労働が終わった直後から内容をスマホで報告させて様子を見守っていました。
しかし、先週ついに妻が泣きながら事象を訴えて来ましたので、これはただならぬ出来事と察知して翌労働日にICレコーダーを持参させ、入店直後からのやりとりを記録するよう命じました。この作戦は妻の提案です。それくらい切羽詰ったのでしょう。
帰宅した妻からの報告で、即座に私が入院している病院まで来させてICレコーダーの内容を精査した結果が、次のやりとりです。
オバさん
「おまえ、あいさつは?」
妻
「しました(おびえ声)」
オバさん
「そんな声で聞こえるか!なめとんか!」
少しの作業の後
オバさん
「おまえ、これでやったつもりなんか? (他のパート従業員へ)おい、これでやってるんやと。信じられんよな。これで45(歳)やで。どう思う?」(ほぼ原文ママ)
そのやりとりから前後して、煮えたぎった熱湯の釜の横に妻が立っている時、わざとうどんを手荒く放り込むようになり、その飛び跳ねた湯で妻は火傷を負いました。
極めてかいつまんでここに記しました。こんなやりとり、現代では大学の応援団でもしません。
これまでじっと我慢して冷静に聞いていた私のタガは、このやりとりの実際の肉声を聞いた途端かんたんに外れました。ここで黙っていては、私が信念を持って生きて来た53年間がまったくの無駄になります。
即座に店長に電話をさせて、退職を願い出させた後で私が代わりました。
挨拶の強要や、呼び方がおまえとの文言までは許容しましょう。しかし、言われたことをこなしているのに年齢を出して幼稚扱いするのは我慢の限度を超えています。
強要罪には当たらなくとも侮辱罪は成立。この事を単にパート間の感情の行き違いだと言い訳する店長にそう通告しました。私は少々気色立っていたかもしれませんが、極めて低い声で、しかし相手には一歩も引かずに言い放ちました。ことを簡単に考えてもらっては困ると。
結果、妻が退職を願い出たときは急すぎてパートのやりくりが困るだの、最低二、三週間前には言ってくれだの告げてきた店長は、私が通告した途端に即座に当日退職を受け入れました。
できるのなら最初からそうせい!
おそらく、このやりとりで妻が退職した後も、そのオバさんと店長は夫が過保護だから妻がそのように幼稚になるのだ、などと金魚の糞会議をしている事でしょう。
それは私の関知せぬ事。好きになされば良い。
しかし、少しでもなんらかの形で我が夫婦に意趣返ししようものなら、私は黙っていません。司直の手を借りてでも、現在の労働環境がどうなっているのかを痛感させてやるつもりです。
少しばかり言葉が荒くなりましたが、オバハンではなくオバさんと書いた私のせめてもの温情を解ってください。営業妨害で訴えられてもこちらも相応の対処をしますので構いませんが、事の公平さをきたす上であえて店名は記しません。
この拙文を読んでいただいた労働者の皆さん、屈する事なかれ。自分の義務を果たした上で、権利は精一杯主張しましょう。窮鼠猫を噛む前に、合法行為で堂々と相手をやりこめましょう。
非正規労働者だからと言って、泣き寝入りするご時世ではありませんよ。
まったくもう、シバク・ドワレ。
2016.12.7
闘病記/病院食 〜さらば混迷かつ隠遁とした日々よ〜
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2016.12.6 闘病記・入院19日目
どうも、acsekitoriことシバク・ドワレです。
制限がかかっていたモバイルルータ、モバスマも無事に復旧して、入院中最後のデータ処理も滞りなく終了してほっと一息です。
最後の昼飯をいただきましたが、見事に好きなものばかり。まあ美味しかったこと。
鯖に脂が乗ってきて、美味しくなってきましたね。冬ですなあ。夏のサバは猫またぎと申しますが、調理方法によってはなんとか食べられます。
しかし何と言っても旬は冬です。夏は釣れてもリリースすることが多い暴れ者のサバ君。でも、冬はごちそうですから捨てるどころかそれを狙いによく行ったものです。
鯖の骨は抜いてくれてるし、梅干しの種も出してある。至れり尽くせりですなあ、病院食って。こんな美味しい食事を、抗がん剤処方中と抜針後一週間くらいは食べられなくなるんですから、もったいない話です。
ようやく退院
長かった今回の入院も、今朝の採血で問題なかったので明日退院許可がおりました。やっと家で落ち着いて仕事ができます。
仕事ばかりではありません。既に仕事納めが終わった後のロングキャラバンの計画も出来上がりました。今回は久しぶりに信州から北関東方面を攻めようかと思っています。
行ったことのない名所も訪れる予定で、妻ともども楽しみで夜も10時間くらいしか寝られません。
まだ見ぬ地への想い。吹きすさぶ風の中、粉雪が舞ってくれるのでしょうか。スタッドレスへの交換作業と、冬バージョンへのグラのリフォームを行って、万全の体制で挑みましょう。
日本は広い!既に日本の47都道府県に足は踏み入れていますが、まだ訪れていない土地のなんと多いことか。
この退院前日の気分の高揚を知っているから、入院はやめられないんですよ。なんか違うか。
2016.12.6
雑感/PCとネットワーク 〜重要なライフライン?なけりゃないでなんとかしないと〜
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2016.12.5 エッセイ
どうも、acsekitoriことシバク・ドワレです。
ある事情で、二日間ブログの更新をしませんでした。その事情とは?
実は外で作業をするノートPCが不調のため、入院中にも関わらずMacBook Proを買い足したのです。
apple社のPCやiPhoneなどを使用している方は当然使っているでしょう、iCloud。これはMac/iPad/iPhoneなどが新し目のOSであれば、ほとんどのデータを自動的にサーバに保管して共有でき、即時各マシンに反映されるとてつもなく便利な機能なんですが、新しい本体を導入した時に少しばかり問題が起こります。
それは、いずれかのマシンで膨大なデータを作成してサーバに保存されていた場合、新マシンを始動させた段階で新マシンにその大量のデータのダウンロードが始まるのです。
固定回線の光ファイバーなら何の問題もありませんが、モバイルルータだと落とし穴がありました。
私が外出時に使っているWi-Fiルータは、スマモバ。これが、ドコモのLTE回線を使い放題で税込¥4300ほどと、高額ではありますが便利だったんです。山奥や地方への巡業が多いですからね。WiMAXだと大都市しか使えませんでした。
今までは新機種導入は在宅時にセットアップを完了させていましたので気づかなかったのですが、先ほどの外出中自動ダウンロードで問題が起きました。
導入したのが12/2だったんですが、その回線で1日いろんな作業をこなし、翌朝目覚めるとネットがとんでもなく重いのです。
どうしたものかとスマモバの公式HPで質問コーナーを読んでみると、ありました。
なんでも、ドコモ回線をスマモバが拝借している関係上、利用者でその回線を分け合う形になるので、個人が一定以上の通信を行うと制限がかかると。
あまりに容量が
これはいかんとスマモバ客相に電話しました。使い放題との謳い文句にて集客しているのに、制限をかけるとはなんたることよ、と。
しかし、公式HPのプラン説明にも小さい字で[三日間で1G使用すると、制限がかかります。その場合、200kbpsになります]と書いてありますので、民法上も商法上もどうしようもありません。通常は40mbpsほどは出ていましたから(表示上)、約二百分の一ですね。合ってますか?計算。
私が使用したのは1日で15GB。仕方ないですね。とりあえずいつになったら復旧するのか訊くと、数日様子を見て欲しいとのこと。これでは仕事になりません。
話が長くなりましたが、そんな訳でブログどころではなかったのです。
自他共に認めるスーパーポジティブシンキングの私、これは大ラッキーでした。幸いこの間の仕事はデータをDVDに焼いて発送する顧客でしたので、通信は関係なかったのです。
これが、データを宅ふぁいる便などのファイル転送システムを通じて、ネットで東京へ送るクライアントの仕事の、締め切り直前に起こった事象なら目も当てられません。
これからは、使用量を問い合わせるなどして事前にディフェンス網を構築することができます。転ばぬ先の杖、ではなく転んだけど大怪我しなかった、とのお話でした。
家からアップできましたが、校正する間がなく変な文かもしれませんがお許しを。
2016.12.5
雑感/長崎ちゃんぽん 〜永遠の完全栄養食〜
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2016.12.2 エッセイ
どうも、acsekitoriことシバク・ドワレです。
永遠の完全栄養食、なんともたいそうなタイトルを付けました。それくらい、私のがん治療にはなくてはならない長崎ちゃんぽん。ついでに皿うどん。
いつの頃、初めて口にしたのでしょうか。
画像のものはリンガーハットです。昔はこのようなチェーン店は存在せず、本場九州へ行った時か地元の中華料理店でメニューにあれば貪りついたのを覚えています。
近江ちゃんぽんや愛媛の宇和島や八幡浜ちゃんぽんなど、各地にご当地グルメ風のちゃんぽんがありますが、私は王道の長崎ちゃんぽんが好きです。
豚骨スープに、コシのある極太麺。たっぷりの野菜と、豚バラ。イカやエビなどの海鮮。けっして豚を入れすぎるとよくありません。多くの野菜の中に、ほんのり豚の噛み応えがあるのが良いのです。
スープを飲み干すと塩分摂りすぎでしょうが、野菜はふんだんに摂ることができ、消化も良いです。これを入院中の外出時にいただくと、それまでの食欲不振が一発で吹き飛びます。
もちのろん、ラーメンも大好物なんですが、さすがに副作用がキツイときはあかんのですわ。どこが違うのでしょうね。好みの問題もありますが、きっとたっぷりの野菜がしつこさを相殺してくれるのでしょう。
酒なしで楽しめる
ちゃんぽんに限らず、麺類はビールが欲しくならないのも良いですね。酒飲み丸出しですが、餃子や中華系、お好み焼きなどは必ず飲みたくなるので運転時や入院時は困ります。
グラの放浪で、つい車メシが多くなるのもそう言うのが理由です。宿泊地に着いて寝る支度を済ませてから、買っておいた惣菜や持ち帰りの唐揚げなどで飲むビールの美味いことよ。
これで風呂がある道の駅やSAなら最高です。予約が要らず、荷物を部屋まで運ぶ必要が無い分、旅館やホテルより快適だとも思えます。
さあ、もう病院食も食べられるようになってきました。食欲全開です。
刺身くいて〜〜
2016.12.2
闘病記/体調はほぼ良好 〜表面的な回復に惑わされることなかれ〜
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どうも、acsekitoriことシバク・ドワレです。
今回の抗がん剤入院、早くも二週間が経過しました。下痢は思ったよりは酷くなく、まあ楽な入院でしたがそれは表向き。採血の結果は飛びぬけて良いわけではなく、骨髄抑制はあるようです。
この骨髄抑制とは、血液中の白血球や血小板などを造る組織がやられて、思うように量産できない状態です。なので、人混みに行ってウィルスや雑菌をもらってしまうと、なかなか治りづらいですし、出血すると止まりにくい。
元々人混み、特にショッピングモール系は嫌いですのであまり苦になりませんが、山で落ちたりバイクでコケて出血しないようにしなければなりませんね。
今まで2年半の長きに渡り愛用してきた現在の抗がん剤とは、今回でサヨナラです。次回からは、肺転移へ対処する新薬。どうか副作用が今より強くなりませんように。
今回は同室者の一人(50代後半)の程度があまりよろしくなく、このブログで大部屋の居心地悪さを愚痴ったりもしましたが、それも天命。怒れば怒るほど寿命も短くなるでしょうから、見て見ぬ振りで貝に閉じこもってました。喧嘩しても仕方ないですからね。
みなさんのブログを読んで気分転換をしてました。おもろい方は、とことんおもろい文章を書きなさる。
ドクターからは、血液の様子を見ながらだけれども、来週には退院できるだろうとの見通しをもらいました。もう明日にでも車中泊やツーリングに出かけたい気分ですが、その前にしっかりと体調を整えて、受けている仕事をこなしてからです。
もうすぐ夜が明けます。がん治療は、地球の動きに似ています。明るかった日中の日差しが夜になって何も見えなくなり、しかし必ずまた夜明けが来て明るくなります。これの繰り返しですね。
夜明けは必ず来る
画像は11/26の朝、痛快な夜明けでした。
太陽と月を両方眺められる、この周期の黎明は素晴らしいですね。昔電気文明がなかった頃、歌人たちはこの大地と大空の移り変わりを見て涙し、そして喜びの笑顔で詠んだのでしょう。
私もできうる限り空を見て、山を眺めて暮らしています。テレビやインターネットばかりでは、眼も心も疲れてしまいます。いっそPCやスマホの類を捨ててやろうかとも思いますが、それでは仕事になりませんし、遊びの情報を仕入れるのも困りますね。
完全な山中での隠遁生活などする気もありませんし、がん治療には自らの知識を鍛え上げるための情報入手は不可欠です。
炎といっしょで、インターネットも利点だけを拾い上げて上手に利用したいものです。どちらも間違った使い方をすれば、武器になってしまいますから。
2016.12.1
旅日記/世界遺産・五箇山 〜雪深く、暮らしの辛さは微笑みで〜
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2015.3の思い出
どうも、acsekitoriことシバク・ドワレです。
深々と降り続く重たい湿雪。
どさっと落ちる音がして屋根の地肌が見えたのに、また次の日には家を隠してしまう白き悪魔たち。
雪をかけばかくほどに厚みを増してゆく、道端の氷の塊。
昨年の三月、五箇山へ撮影旅にでかけました。ちょうど春の低気圧が通り過ぎて天候は悪化しましたが、前日からの大雪で屋根にはたっぷりの積雪、撮影当日も降りしきる雪で撮影には好都合でした。
しかし上にしたためたように、暮らす人々はたいへんです。
この日の前日に大阪発札幌行きのトワイライトエクスプレスの最終運行日撮影をしましたので、NikonD3と70-200f2.8Gでの本気撮影です。この組み合わせは重たいのが難点ですが、良い筋トレになりますのでがんばりましょう。
この時は北陸〜飛騨のロングキャラバン。金沢で夜の魚を楽しんだあと、砺波周りで五箇山入りしました。まず一番北にある相倉集落の有料駐車場にグラを止め、山を登ります。山道は1m程の積雪。踏み固めてはありますが、どんどん雪が降ってきますので軽いラッセルです。
私にはどうってことのない里の雪歩きですが、妻は生まれて初めての体験。珍しいのと子供のようにテンションが上がるのとでしんどさを忘れるのか、なんとかついてきました。
久々のラッセルに心躍らされ
時々膝まで埋まる悪雪に苦労しながら展望所に着くと、目前には水墨画の世界が広がっています。平日とあって人影はほとんど無く、ただしゃりしゃりと雪の降る音のみが辺りを支配しています。
妻に雪のボールを投げられました。本格的な雪合戦は初めてのようです。私にはいっこうにあたりませんが、応戦した私の直球が腹に当たり、白旗です。
楽しいか?うん、楽しい。はしゃぐ彼女を見ていると、こんな周りの状況でも全く寒くありませんでした。
駐車場で16時過ぎでしたので、撮影しながら上に登った時には17時前。もう三月ですので陽が長くはなってきていますが、天候が悪いので暮れるのはもうすぐです。
夜道に日は暮れないとは言いますが、ここは雪の中。冷える前にくだりましょう。
下に降りてきたところで、ちょうどあかりが灯りました。心まで照らされて、暖かくなります。降りしきる雪がスローシャッターで滝のように写っていますね。
この湿雪が曲者で、ゴアテックスや防水で無いウェアだと雨のように濡らしてしまうのです。クルマ旅ならなんてことありませんが、登山なら要注意。これで道迷いをして夜を明かそうもんなら、慣れていない人は1発で凍死するでしょう。装備は重要です。
私は例え車中泊であっても、妻には必ず冬山用ダウンジャケットとゴアテックス雨具を用意して万全の態勢で臨みます。大切な人ですから。
次にクルマを進めたのが、ちょうど五箇山の中心部にある菅沼集落です。ここには無料の大型駐車場がありますので助かります。
ホワイトバランスは多少調整していますが、画像の色を変えることはしていません。デジタルになり、画像ソフトを使えば簡単に彩度や明度、シャープネスの調整ができますが、あまり触りすぎるとせっかくのレンズの特性が損なわれますし、何よりも現場の空気が逃げて行ってしまいます。それではもはや写真ではありませんね。
とにかく、この色調の変化で、時間の移ろいが判ると思います。
白かった空が薄い水色へ。そして青くなり、やがて群青に変わっていきます。その紺色が深くなり、やがて黒くなって木々が見えなくなる頃、この合掌造りがもっとも華やぐ瞬間が訪れます。
私は、空のグラデーションが大好きです。晴れ渡った冬空の暮れ行くオレンジや夜明け直前、黎明の紫も好きですが、このように重たい鉛色が深みのある藍色に染まっていくのも、雪国ならではの渋みでしょう。
フォトグラファーをしていて良かったと思える刹那です。
すっかり闇が訪れた合掌造り。傘をさしているのは観光客でしょうか。地の人たちは、雪では傘などさしません。
今年も世界各国、日本中から多くの観光客が訪れるであろう、世界遺産合掌造り。
未来へそのかけがえのない遺産を引き継ぐためにも、まず日本人からマナーを守りましょう。あなたの行いは、子供達が見ています。
2016.11.30
旅日記/いすみ鉄道 〜老兵は死なず、ただ消え去るのみ〜
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2014.2の思い出
どうも、acsekitoriことシバク・ドワレです。
おととい、大阪地下鉄のフェスティバルに行った記事を書いて、鉄が再燃しました。急いで過去ストックからこのいすみ鉄道フォトを引っ張り出して報告します。
前から気になっていたこの千葉県の中小私鉄。旧国鉄の気動車を買い入れて、当時の塗色のままで現役として走行していたのです。
それが、この国鉄色が無くなると聞きましたので、東京への所用ついでに行ってきました。もう3年近く前の話です。
その時は荷物をあまり持って行くことができなかったので、軽量化のためD4やD3を持っていけず、今は売ってしまったD300sのみだったので暗いところでの撮影はたいへんでした。画面では明るく写っていますが、冬の夕暮れはすぐに暗闇が訪れます。
がんばって感度をISO2500まで上げたのですが、シャドーの粒子が荒れ荒れですね。この辺りが、最新のデジカメとの差異でしょう。
レンズは当時持っていた80-200f2.8Dですので(今は70-200f2.8Gに入替え)、なんとかこの感度で動体を撮影することができましたが、安い汎用レンズだと厳しいでしょう。
遠くの山並みにキハのタイフォンが反響して、間も無く列車がやってきました。徐々に大きくなっていくディーゼルエンジンの頼もしい雄叫び。ポイントを通過する車輪のコトンコトンという音さえ消し去るその響きには、スマートな電車には無い郷愁が感じられます。
保線係員の方がなんとも凛々しいですね。健さんの世界が目の前に広がっています。
乗務員や職員の方の制服が国鉄で無いのは当然。それでも、車両のサビ具合やオリジナルのままの塗色を残してくれたことに、大いに感謝です。駅舎の佇まいといい、すっかり昭和に帰りました。
国鉄色が消えないように祈るのみ
この会社オリジナル車両との対比です。イエローが鮮やかですね。これは好みの問題ですので、このような新しく格好が良い車両の方が好きな方も大勢おられるでしょう。
私が大好きな国鉄色も、現役当時は全国統一色でなんとも野暮ったいと揶揄されたものです。それがJRになった途端の、各会社ごとに一斉に現代風に塗り替えられた原因の一つでしょう。
あとは、このような2トーンカラーは経費が余分にかかるらしく、今もって残存している115系などの旧型車両も、どんどん単一色に塗り替えられています。
線路に飛び降りた訳ではなく、手前の踏切からの撮影です。尾灯が付いているのでわかるように、向こう側へいったん引上げて行きます。その後、運転士が後ろの車両へ移動して、左側の引き込み留置線へと折り返すのです。
ほんのり赤く光るテールランプが少しづつ遠くなる、なんとも物悲しい情景。まるで幼い頃に母におもちゃをねだったものの買ってもらえず、ひとり置いて行かれた気分でした。
信号や尾灯で鉄路が紅く光っています。毎日幾度となく車輪に磨き上げられて、鏡のように光り輝く線路たち。明日も安全運行のいしずえとして、しっかりと列車を支えてください。
おもちゃを買ってもらえず路上で駄々をこねていた私を、見かねて母が迎えに来てくれました。そんな気分のこちらとは裏腹に、今日の疲れを取るべくしとねに向かって一直線です。
むかし、国鉄では急行がスタンダードでした。特急は一部の裕福な方やビジネスマンが乗車する高嶺の花。鈍行列車では行けない、遥か遠くまで庶民の夢を運んでくれたのが、このキハ58を代表とする急行列車だったのです。
長い間、本当にお疲れさまでした。もう国鉄も急行も存在しませんが、あなたがたの功績は未来永劫忘れられることはないでしょう。
国鉄色よ、永遠なれ!
2016.11.29
雑感/プロカメラマン 〜写真家?写真職人?芸術家?呼称はどうだって良いんです、仕事ですから〜
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2016.11.28 エッセイ
どうも、シバク・ドワレです。
度々記事に書いていますが、私は職業写真家です。写真家と書くとなんかすごく偉そうで上からなイメージですが、税務署から送られてくる確定申告書に、そう記載してあるんです。
法人化しておらず、個人事業主としてのフォトグラファーは写真家になるみたいですね。
また、厳密に言うと英語文化圏でのカメラマンとは動画撮影のプロを呼ぶ名称みたいで、私のようにスチルいっぽんの場合は、フォトグラファーです。
写真屋のオッチャンでも良いんですがね。
さて、よく知り合った方に、写真を教えて欲しいと頼まれる事があります。その人がダイビングをしているので水中写真を教えて欲しいとか、山登りしているプロカメラマンなんだから、花の名前を含めてキレイに撮る方法を教えて欲しいとか。
いえいえ、潜ったことありませんし、花の名前はほとんど知りません。
他には、キャノンのなんたら言う一眼レフのどうたら言う機能を教えてとか、コンデジはどれが良いか?とか。
私はカメラ屋さんや家電量販店の店員ではありませんので、まったく解りません。
ニコンのプロサービス(NPS)に登録している、ニコンのプロ用一眼レフしか知らない写真職人なんです。
プロと言うからには万能選手、ではありません。中にはそういう器用な方もおられるでしょうが、私は報道やコマーシャルで料理や人物インタビュー、建築物を主に撮っており、他には紀行文や名所紹介などの文章入りの特集を依頼されたり。
あとはたま〜に頼まれて学校のスキーキャンプや野外活動なんかに付き添うくらいです。それは楽しみな仕事ですが。
七五三や成人式の着物の振り付けなどはできませんし、クマを撮るだけのために一ヶ月森に滞在するようなこともしません。ましてや、戦場に命を賭けて赴くことなど、いまのところ絶対に無いでしょう。パスポートが期限切れですから。
写真では無く趣味・遊びはかなり広範囲にわたって深入りし、いくら金があっても足りない状態ですが、仕事に関してはこれで良いと思っています。
やはり得意ジャンルがあった方が説得力がありますし、経験値も上がってゆきます。フォトグラファーに限っては、オールラウンダー=ベストでは無いと思っています。何でも屋さんはどこからも声はかかりやすいですが、万年補欠のリスクも負いますので。
30年続けて来れましたので、もう数千回は雑誌やネット広告などに掲載していただき、クレジット(氏名)も載せて貰ってますが、そんな事は営業上は有利に働くだけで自慢にもなりません。
よく「すご〜い」って言われるんですが、そういう仕事をしているだけです。例えばテレビカメラマンさんがスタジオで芸能人を撮ったからって、いちいち自慢しないでしょう。それと一緒です。
iPhoneだってカメラです
このブログを始めて約三ヵ月が経ちましたが、使用している画像の9割以上がiPhoneでの撮影です。ブログ投稿用はスナップが主体になりますので機動性に優れますし、今使っているiPhone6は本当にカメラとして優秀です。
しかし今月、大腸がんが肺へ転移したのが見つかって、もう仕事のペースも落ちますし、遊びの車中泊やツーリングも1日にあちこちたくさん回る事は難しくなるでしょう。
それなら、愛機を片手にのんびりと撮影行脚も良いかもしれません。プロからアマに昇華ですね。幸い、軽いカーボン三脚やプロ機材はてんこ盛りありますので、初期費用はまったくかかりません。当たり前ですが。
これからは老兵のNikonD3を登場させて、好きなものを思い通りに撮る生活へシフトしようかな。引退にはまだ早すぎますがね!
2016.11.28
旅日記/おおさか市営交通フェスティバル 〜日頃のご愛顧を感謝されて〜
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2016.11.27 鉄道旅日記
どうも、シバク・ドワレです。
今日、大阪市住之江区の大阪市交通局 緑木車両工場・緑木検車場でタイトルの祭りが開催され、その招待券が当たっていたので行ってきました。
私は大阪市生まれですが、出生後すぐに静岡県に転居しましたので、実際に居住した経験はごく僅かです。ですので、毎日乗っている住民ではありません。しかし、キタやミナミで取材があるときはやはり地下鉄が便利。
市内の駐車場は高いですし、渋滞で現着が遅れてはいけませんので公共交通機関を使うことが多いのです。機材が大量にあるときは四輪ですし、ペケでスイスイ〜っと取材現場に赴くこともありますが。
今日は雨、しかも本降りです。このような条件下では防水では無いiPhone6は使えません。貴重な第一号地下鉄電車も見られるとの事ですので、愛機NikonD4を臨場させました。レンズは雨に強いマニュアルのズーム、Ai-s 35-70mm f3.5です。銀塩時代のF3に装着して活躍してくれたオールドタイマー。当時の報道カメラマンの基本装備でした。
さっそく検車場のなかに入ってみると、多くのよいこのみんながパパママに連れられて、行列をなしています。この巨大工場は濡れませんので助かりました。上の回廊から地下鉄電車の屋根を眺めるコースもありましたが、あまりの行列でやめときました。
実際に車両を巨大レッカーで持ち上げ、馬に載せるまでの実演がありました。なかなかの迫力です。こんなのが家にあれば、グラやペケのメンテをするのが楽なんですがね。
親子連れには、こういうフェスタの定番、ミニ地下鉄があります。市営交通のゆるキャラ、にゃんばろうが見送ってくれていますね。実は私も妻も乗りたかった。しかし、きっと前方のトンネルで引っかかって、脱線事故を誘発していたでしょう。
古豪に会いに来たのです
本日の主目的、大阪市営地下鉄の初代、105号機の勇姿です。昭和8年に梅田〜心斎橋間が東京に次いで日本で二番目に開通した当時の車両です。もう83歳なんですね。土砂降りのなか、頑張っておられました。お風邪を召されぬよう。
この当時すでに連結部からの線路転落防止柵が装備されていたんですね。先見の明に脱帽です。
広大な敷地の端から端まで、途中車庫をかすめながら敷地内列車が運行されていました。さっそく乗車します。
普段、こんなに間近に車両基地を眺めることはまあありませんので、みな食い入るように外を眺めます。雨が残念ですが、地下鉄車両内から快適に見物させてもらいました。
しかし、この2両だけの電車はモーターは動かしておらず、先ほどの画像の電気機関車が推しています。なのでモーター音はせず、レールの継ぎ目も無いのでまったくの無音。少々不気味な、超スロー運転でした。
車両基地の一番北側に、本線(地下鉄四ツ橋線)への導入トンネルがあります。ここから地下へ潜って行くんですね。なんかタモリ倶楽部みたいで楽しい事このうえ無い。
童心に還り、いやいつも童心なんですが、闘病生活を忘れさせる楽しいひと時を満喫しました。最近は車中泊やツーリングばかりで鉄道旅をしていませんでしたので、今日、この見学で火が点いてしまいました。
退院したら大回りでもしようかな。
2016.11.27