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車中泊旅日記/北陸信州関東東海キャラバン 〜寺社仏閣に触れ、蒸機の煙を浅間の噴煙にかぶせる〜〜

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2016.12.16,17 でんでん虫放浪隊ロングキャラバン4日目・5日目

どうも、acsekitoriことシバク・ドワレです。

もう何日目かわからなくなってきました。

キャラバンに限らず、ツーリングでも列車旅でもトレッキングでも、まずは妻との会話に重きを置いていますので、どうしてもブログ更新が遅くなります。

 

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12/16。今日はゆっくりと起き出して、北アルプスの総鎮守、穂高神社への参拝からスタートです。御神鳥?が朝の挨拶に出迎えてくれました。

私は鳥や虫に好かれるタイプらしく、近寄ってもあまり逃げられません。

ボーッとして向かい合っていると、彼らから話しかけてくれます。あまり悩みは無い方なのですが、近況を報告していると禅問答のような応えを投げかけてくれますので、うなずきながら再会を約束して本殿に向かいます。

 

新装されたらしき神殿は、まだ木の香りが漂いそうです。北アルプスを愛する身としては、ここを素通りする訳にはまいりません。

ほとんど人影の無い境内ですが、年末年始に備えて臨時駐車場が用意されていました。

この日は、正門すぐの正式駐車場に駐車。いずれも無料です。

 

山での無事を祈願し、心新たになったところで次は牛に引かれて善光寺参りに出かけましょう。グラはまるで牛の如くおおらかなクルマですから。

 

神社の次はお寺さんへ

 

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信州長野県の県都長野市にやってきました。長らく登山をしてある関係上、どうしても信州と言えば松本を基準に考えてしまいます。

 

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気温は2℃。地元の人や私は、薄手のアウターだけですが、大阪しか知らない妻は厳冬期用のダウンジャケットの上に、さらにダウンベストを着込んでいます。

慣れとは恐ろしいものですね。

 

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しかし、やはり寒いものは寒い。冷えた身体を温めに、北しなの線豊野駅近くにある豊野温泉りんごの湯にやってきました。

大人¥410。シャンプーリンス完備。

この値段から、よくあるスーパー銭湯だとたかをくくっていましたが、あにはからんや。源泉から湧き出す掛け流しの湯が満たす半透明の内湯と、透明ながらバシッと熱めの露天風呂。さすが温泉天国長野県です。

こんな湯があるなら、この近くに移住しても良いなと思わせる名湯でした。

 

この日の宿は、翌日に控えているこの旅のメーンイベント、信越線でのSL撮影を控えて上信越道を東上します。

 

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この段階で-3℃。途中、小諸あたりではマイナス6℃を表示していました。こうなると、私の痩せ我慢も限度。そうそうにダウンジャケットを出しました。

 

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SL撮影は安中市で行うため、横川SAを宿に定めます。ここには、往年の名車キハ57?を模したレプリカが展示してありました。

ここ横川SAは、古くはアプト式でラックの音を響かせて列車が行き交い、長野新幹線開業まではさしもの特急電車といえど電気機関車の助けを借りて登った横軽のすぐ脇にあります。

このキハの内部は自由に休憩することができ、座席の間にしつらえたテーブルを使って峠の釜飯を食べることもできます。

なくなってしまったものへの未練とはいえ、ここで飲食するだけでも懐古と惜別の涙を流される方も多いのではないでしょうか。もちろん、私もその内の一人です。

 

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明けて12/17。いよいよSL撮影当日です。

妙義山系の奇岩たちが朝の目覚ましを手伝ってくれました。30分少々走って、撮影ポイントの安中鉄橋に到着しました。

 

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鉄橋を遠望する国道の歩道にたたずむ私と妻の影が、SLを待ちわびています。

時は昭和45年、当時小学一年生だった私が親に連れられて大阪万博に出かけた時のことです。千里丘に住む叔父宅を訪ねる道中、千里丘駅の構内入換で終焉間近のD51の現役勇姿を見かけたのが、私の本格的鉄道撮影の始まりでした。

機番こそ違いますが、そのデゴイチに今日再会できるのです。

妻を伴ってはいるものの、まるで初恋の人に叶わなかった想いを告げるために何十年ぶりかに会うような胸の高鳴りを覚えました。

 

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後ろに電気機関車を従え、堂々と走りゆくD51の勇姿。

しかし、その電機こそ私の憧れの名車なのです。

急行ちくまや貨物列車の長大編成をものともせず、力強く木曽路を駆け抜けたEF64、愛称山男。むしろ、私にはこちらのほうに憧憬の念を持って撮影したかもしれません。

間に挟まる旧型客車にも、この時代まで生き残った奇跡を褒め称えてやりたい感動で、心は満たされました。

 

白馬で銀嶺を眺め、浅間を背景にこの上ない青空で機関車を撮影する願いが叶い、至極感激のひと時です。つらい闘病に耐え、激務も健常者と同じようにこなしてきたこの数年間。

あきらめたら、そこで総て終り。あきらめさえしなければ、常に目の前にはすばらしき人生がどんな人にも待っているのです。

慣れない地での生活を耐え忍び、私が入院中にも一人留守を預かり、この極寒の地にもかいがいしく着いてきてくれる愛しい妻。私の感謝の念は、この日の青空がすべて代弁してくれました。

 

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SLが行ってしまった後、機材を片付ける私に誰彼となしにお疲れ様の声をかけてくれる同好の士たち。場所を汚すことなく、心地よい彼らの心遣いにとても素晴らしいひと時を過ごすことができました。

 

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このあと中禅寺湖まで行く予定でしたが、赤城山を回り込んだあたりで強烈な眠気に襲われ、途中の道の駅で昼寝したら三時間が経過していました。

マイナス6℃からプラス13℃へ。まさに地獄から天国です。昇天寸前まで惰眠を貪りました。よって、この日の予定変更。

中禅寺湖への最短の道の駅で泊まろうと思ったら、そこはあまりに寂しい地でした。

私はたとえ幽霊が出ようが暴走族が走り回ろうが、彼らと楽しく会話して過ごす自信はありますが、妻はそういうわけにはいきません。

すかさず頭ナビを働かせて、翌日にいろは坂を駆け上るに最善の、日光宇都宮道路の日光口PAにて宿泊することに決めました。

 

着いた時にはもう売店も店じまい間近で、豪華な食卓とはいきません。しかし、そんなこともあろうかと、道中のコンビニで非常食用に仕入れていたパンと、信州土産の野沢菜やりんごバターと白ワインで楽しい宴の始まりです。

どんな事態でも即応できてこそのでんでん虫放浪隊。たとえこのまま大災害が起きても、しばらくは生き延びることができるでしょう。

 

さあ、明日はどこを彷徨うかな。

2016.12.18

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