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車中泊クルマ改造記/過去の泊車たち 〜ソロからファミリーへ、そしてまたソロからデュエットへ〜

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2016.12.29 車中泊遍歴

どうも、acsekitoriことシバク・ドワレです。

私は現在、度々登場するトヨタグランビア4WD(元・特種キャンピング車)を、税制上の利点から貨物車に構造変更して放浪車としています。

この自作キャンパーの出来栄えは、完全に手前味噌・自画自賛ですがなかなかの物。快適にロングキャラバンをこなしています。

 

しかし、このように自作できるのも、様々なショップ製キャンピングカーを乗り継いできたからかな、とも思います。

かと言って別に年数や経験が豊富だからと他人に自慢できる遊びでもありませんし、連れもって道の駅などで集うのはマナー違反な行いの趣味ですからひっそりと夫婦だけで楽しんでおります。

 

さて、もう33年になるその車中泊。始まりは初代マイカーであるホンダアコードハッチバックでした。

リアゲートこそあるものの、2ドアクーペに近いそのスタイルは、とても車中泊を楽しむとのレベルでは無く、単に登山口でテントを張るのが難しい時に仮眠する程度で、朝が待ち遠しい苦行でした。

次のミツビシギャランシグマも4ドアセダンですが、似たようなもの。

 

1度目の結婚直ぐに購入したトヨタタウンエース4WDが、事実上初代自作キャンパーと呼べるでしょう。後部はフラットになる上に、窓にはカーテンもありプライバシーが保てましたから。

しかし自作と言ってもコンパネをシート上に敷いて寝やすくしただけの、簡易なものでした。ギャレーは自作しましたがね。

 

8ナンバーで公式キャンピングカーとして初めて入手したのが次のトヨタランドクルーザー60。これはベッドこそ狭いですが、フロント延長バンパーにパーテコウインチを備えた機動力抜群の名車でした。実際、斜面をずり落ちた同じランクルを引き揚げた事もあります。

 

この後しばらくはミツビシデリカスターワゴン4WDやスペースギア4WDなどにタウンエース同様のプチ改造を施してお茶を濁した後、本格的キャンピングカーへの道を進みます。

 

ショップ製キャンピングカーへの道を

まずは、トヨタハイラックス4WDダブルキャブをベースとしたアメリカ製トラックキャンパー、インディアナ656。ここで初めてFFヒーターの恩恵にあずかります。

しかし、この荷台積載型キャビンでは、よくある話で子供達が成長すると手狭です。

 

それで次はタウンエーストラック4WDをベースとしたアムクラフト製ヨーロピアン。ポップアップルーフや車外ギャレーを備えており、子供達は秘密基地然としたそのテクノロジーに大喜び。

 

ここで犬が加わり、次は同じくタウンエーストラックベースのヨコハマモーターセールス製の名車、マナティ4WD。これはいわゆる亜流キャブコンで、バンクベッドは無くダイネット上に細長い二階ベッドがあります。

大家族には向きませんが、ダイネットとサイドソファを全展開すると200×190程の広大なベッドになりますし、運転席上は荷物置きスペース。

リアには本格的キッチンと個室のシャワートイレルーム完備ですので小学生二人くらいなら二階ベッドと合わせれば充分。バンクベッドが無い分低重心で、高速走行でも山道でも怖い思いをした事がありませんでした。

これが客観的には私のキャンピングカーライフの頂点だったでしょう。値段も当然いちばん高かったです。

 

このマナティには一番長く、5年は乗ったでしょうか。他は平均2年で、資産価値がなくなる前に乗り換えていました。登録などは全て自分で陸運局に出向き行政書士の手も借りませんでしたので、手数料は不要です。

しかし、ここで私の車中泊に転機が訪れます。

 

まずは、娘が中学生になりクラブ活動に励むようになると、もう車中泊旅どころではありません。当然、当時の妻も在宅。息子との二人旅へ変化しましたが、その息子も同じく中学生へと成長。毎週のように出かけていた車中泊は、激減しました。

 

そして天下の悪法(私にとり)、NOxPM法の施行です。私はディーゼルエンジンのトルクと経済性が大好物でしたので、それまでの車中泊クルマは全てディーゼルでした。当時は兵庫の山奥に居住していましたので登録は継続できましたが、京阪神でそれが不可能になると、一気に売却値が激減します。

それで、泣く泣く資産として売却できるうちに手放しました。その後大阪に転居しますので、正解だったでしょう。

 

この後は離婚して独り身になりましたので、ダイハツアトレー4WDなどの後部をフラットにしてのソロ放浪を続けました。

がんの再発で四輪を手放していた時を経て、やがて再婚。まずは愛妻と二人、知人から1万で譲って貰ったホンダバモスをウッドデッキ張り棚付きの本格自作スタートとしました。

しかし、1万円の自動車の悲しさ。多走行ゆえか、壊れてしまいました。そしてホンダアクティを仮車としてしばらく場を繋ぎ、満を持して現在に至っています。

 

このグラは、現在走行約16万km。いつまで走れるかわかりませんが、壊れたら仕方がない。コツコツと貯めている小金で、また自作に適したクルマを仕入れるか、出物が有れば完成品を買い改良するか。

そんな先の事は考えず、今は最高に調子の良いグラさんで老骨に鞭打ちながらゴキゲンな放浪を続けましょう。

 

がんばろなあ。お互いにな、愛しきグラよ。

2016.12.29

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