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私のブログ、その綴り方/ブログ 〜ひたむきに、がむしゃらに〜〜

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2017.9.15 エッセイ

どうも、シバク・ドワレです。

私がブログを始めてから一年と少し、ようやく252記事になりました。この間に、約75000のPVを頂きまして、心から御礼申し上げます。

これはアマチュアであっても人気ブロガーさんから見たら取るに足らない数字でしょうが、私はアクセスを増やすために媚びを売る記事を書いたり、ブログのためのブログにはしたくありませんので、充分満足しています。具体的には、ブログのためにわざわざ行きたくもない観光地へ寄ってまで撮影するとか、記事を書くために変わった料理を作るとかはしません。あくまでもアクティブな活動を優先して、その記録としてブログに著述するのが私のスタンスです。無論、非公開にしていないのは読んでいただきたいからですが、あくまでもマイペースで続けます。

そして再三の記述になりますが、闘病の辛辣さ、死への恐怖などを述べるブログにもしたくありません。そのための題名、「末期がんでも遊んだる!」ですから。

もちろん、これだけワガママな文を書くのですから、離れて行かれる読者が出てくるのは当然の帰結でしょう。しかし、それも自然の摂理。多少の寂しさはありますが、むしろ意味不明な専門的記事を無理に読んでいただくほうが気の毒です。私自身も、読者登録したものの感性が合わなければ訪問を辞めて、登録も外しています。

 

 恩師とのやりとり

さてある日、全国でも有数の偏差値を誇る優秀な国立中高を卒業し上の大学に進学された、定年まで国語科の教員をしておられた山の先輩でもある恩師と、焚火を囲みながら飲んでいたときの事です。

「Hはん、貴方は小説や詩を書かはれへんのですか?」

H氏

「ワシにはそんな文才は無いから、書かん!」

「さいですか。ワイは受賞するような文才は無くても、書くのがオモロイから書き続けまっせ。評価なんか後から付いてくるもんやし、クソミソに言われるほど燃えますんや」

H氏

「ふ〜ん。ま、勝手にしぃ」

 こんなやり取りを、深山幽谷キャンプのあいだ中、延々と繰り返していました。

 

何冊か本の出版もされたH氏に文才が無いとの口上は、謙遜だと分かりきっています。しかし実際に彼が書くのは史実の再確認を主とした地域探索の山行記や、冒険家の足取りを追う紀行文などが主体であり、牧歌的な詩などは読んだことがありません。

16も年長なのに「彼」と呼ぶくらい親密な関係を築きあげましたので、僭越ながら彼の頭脳を切り裂いて中に入り込んで見ました。その脳の構成を見た結果思うに、彼は専門的に学んだ日本語学と国語論が邪魔をして、想像力とクリエイティブな感性がその構成の総てに近い、小説や詩が書けないのでは無いでしょうか。私は極力、論文調になるのを避けていますが、彼は努めてそれを狙っているそうです。あくまでも歴史や記憶に残る学術論文が目的だそうな。

 一方私は、高校まで国語科の成績はまあまあでしたが、大学では文学部ではなく経済でした。

ですので、文法がなんたるや、などは忘却の彼方です。しかし業務であるフォトグラファーの傍ら、紀行文や食材紹介などの執筆も編集者から依頼されていました。いわゆる、カメライターです。

そこでの仕事が今の文章に活かされているのか、はたまた文を書くのが好きだったから依頼があったのかはわかりません。とにかく、あまり難解な文言を羅列して読んでもらえなくなるくらいなら、小学生でも高学年なら理解できるような解りやすく丁寧な記事を心掛けています。

 

私は、私小説や詩を書くのが好きです。それも、掌編と呼ばれるごく短編のもの。短い中に、リズミカルにテンポよくストーリーを進めて行き、飽きられる前にストン、と完結させるのが目標です。残酷、卑劣な振る舞いや世俗への怒りなどのテーマは日頃の雑感に任せて、私小説や詩では情緒あふれる、叙情的な表現を心掛けています。私自身、そのような書物を紐解くのが好きですから。星新一さんのショートショートのような大逆転、コペルニクス的転回のオチを付ける能力はありませんので、あくまでも日記や作文に近い心象描写ですが。

表現の手法は、事象を忠実に羅列する一方、抽象的な表現も交えて読者の想像力をかきたてるのが快感なのです。これは、現実なのだろうか?いや、あくまでもドワレの頭の中でのみ起こりうる、寓話なのだろうか。この男は一体全体、どのような思考を持って生活しているのだろう。果たして、本当に人間界に棲息しているのだろうか、と。

私にとって文章は、絵画と同じ感覚を覚えます。真っ白なキャンバスに絵の具をぶち撒けるが如く、荒々しく書き連ねる。やがて、その日の設定である1000W(ワード、文字)や2000Wに達したときに、文頭から読み返します。すると、おかしな表現や誤字脱字が目に留まります。それを、気に入らない描写をした油絵の具をそぎ取るように剥がして、上から厚く塗り直すのです。それを繰り返すうちに、いろんな絵の具を混ぜて独特の色合いが醸し出されるように様々な表現がミックスされて、自分だけの独自のストーリーができて行きます。最初の荒々しく書きなぐった文が幹、絵の具を混ぜたのが枝葉ですね。

こうなると、もう止まりません。その寂しかった枝が四月に新緑を膨らませ、山おおいに笑うが如き、感性と創造の遥か広大なる樹林帯が出来上がって行くのです。

 

いつもオートバイミーティングや、先日の北海道ツーでお世話になっているT先輩が、ある日職場の同僚である法学の先生に私の文章を読んでいただいたそうです。

法学先生曰く、

「この人は、自分の文に酔いしれるタイプだね」

と。

ズバリ図星ですが別に動揺する訳でもなく、

「あたりまえですやん。まず自分が好きにならんと、どうやって読者に感銘を与えることができましょう」

と、T先輩には返事しました。

 

異論もおありでしょう。なんて思い上がった、いけ好かない奴なんや、オレ様の極みやな、と。しかし、私はこの自由奔放なスタイルを崩すつもりはありません。

夕陽を見て感動した心。

虫が歩いているのを邪魔した時の切なさ。

縁日で振り返ると、親がいなかった時の不安と解放感。

そういった己の中に残っている少年の心を、いつまでもいつまでも、棺桶まで持ち続けて書き続けて行きます。

 

私はフォトグラファーです。文章も、写実主義を織り込みつつ、創造の喜びをかみしめたい。

カメラを持てなくなろうとも、キーボードは叩けます。キーボードを叩くのも、iPhoneをタップするのも辛くなれば、妻がいます。妻に代筆を頼みながら、それでも述べ続けます。必ず、きっと。

 

愛機NikonD4に差し込まれ、フォーマットしたメディアカードにNo.0001から撮り始めるように、今夜も真っ白のデスクトップに立ち向かい、いちから書き始めます。

一撮入魂、一文熱情。

2017.9.15

 

P.S.今日はこの追伸を除いて、ジャスト3000Wに仕上げました。

 

acsekitori.hatenablog.jp

 

 

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