古民家への想い/雑感 〜おばあちゃんの優しきおもかげ〜
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2017.10.10 エッセイ
どうも、シバク・ドワレです。
私の父は満州で開業医をしていた祖父の元で生まれ、終戦により引き上げてすぐに祖母は亡くなりました。既に父が3歳の時に祖父も他界していましたので、当然のことながら私は父方の祖父母を知りません。
しかし、母の実家がある讃岐高松へは、父の転勤で神奈川より大阪に戻ってきた小学校2年生の頃から、家族で毎年夏休みに訪れるのが我が家の数少ない恒例バカンスとなっていました。その頃は祖父母ともに健在で、お勉強好きですがゴン太だった私は口うるさかった祖父によく叱られて、それを優しい祖母に慰めてもらっていました。
上の画像は、先日ブラッと立ち寄った高山市の保存民家ですが、まさにこんな造りだったんですよ。6畳から10畳くらいの和室が4部屋正方形の続きになっており、その一室に仏間があって豪華絢爛な仏壇が鎮座している。
仏壇の上には私が小5の時に亡くなった祖父の遺影があり、その下で祖母がいつも寝ていました。それは中2の夏。その秋深くに、祖母は大往生で息を引き取りました。
中学に上がった私は、もう高校生になって忙しくなった姉のため帰省しなくなった両親に代り、一人でおばあちゃんに会いに行っていたのです。
おばあちゃんの思い出
祖母が寝ていた仏間の前には縁側があり、その縁側の延長上には厠(かわや)がありました。完全な屋外ではありませんが、縁側と庭の間には何もなく、冬は寒かったろうと思います。もちろん汲み取り式で水道なんてなく、石に素掘りの手水が置いてあり、その上には手ぬぐいがぶら下がっていました。
ここまで立派な造りではありませんでしたが、けっこう広い坪庭があり、同じように苔むしていたのを覚えています。
風呂は、五右衛門風呂。鉄の分厚い釜に木でできた底板が浮いており、それを水圧に逆らってうまく中心に乗ります。失敗して踏み損なうと、板が浮力で横に跳ね上がり底に着地した足裏がとても熱くなります。
外では本家の叔父さんの奥さん、つまり義理の叔母さんが薪をくべて火力を調節しながら湯加減を訊いてくれたものです。
母の実家の方はもうとっくに本家長男である私の従兄に代替わりしており、近代建築に建て替わっていますが、高山の重文民家を訪れて懐かしい想いでいっぱいになりました。
出来うることなら、古民家に住んでみたい。維持管理がたいへんなのはよく判っています。が、幸いなことに私の現在居住するマンションから徒歩2分のところには、現役カーペンターである山岳部の先輩がいらっしゃいます。兄のように慕っていますから、きっと超低額で補修してくれることでしょう。
古民家が存在するところなら、近所付き合いもたいへんです。都会っ子の妻には耐えられないでしょう。病院通いもあるし、仕事もまだある。
まあ、宝くじが当たってから別荘にでも考えますか。
2017.10.10
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