シンドさとは/雑感 〜黙想し、夢想しつつも悶絶す〜
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2017.12.14 闘病記 画像:治ったら食べたい物
どうも、シバク・ドワレです。
年の瀬ですなぁ。私はのんびりとベッドで過ごしとります。
さて、表題の「シンドさ」。
これの尺度・定義について考えてみましょう。
例えば、私がいま自分の中では10のうち7くらいシンドイとします。しかし、Aさんにとっては10の5だと思うレベルかもしれないし、Bさんにとっては10の10、死の寸前と思える事態かもしれません。
かように厄介なのが、「シンドい」を如何にDr.やNs.に伝えるかなんです。
皮膚が切れたり骨折したら、外見から判りますし映像技術も進歩しており、的確な対処療法を受けられる。
しかし、精神的なモノも含めて内科的シンドさは、患者自らが加減なく伝えないと、ドンピシャの治療は受けにくい訳です。
少し顰蹙を買うかもしれませんが、お年寄りにはこのシンドさをより多く、過大な感情を持ちながら訴えるタイプと、こんなもん病気や無い!と頑張る両極端なお人が多いよう見受けられます。
どちらも、正しく痛みや辛さを取る上では阻害される言動ですよね。
副作用のつらさ
冒頭で書きました、自分にとってのシンドさ。
こんなもん、他人と比べてもしゃあないので、いかに日頃の自分と違うのかを客観的かつ事実のみを正確に伝えることが必要です。
しかし、10の7やと、既にけっこうシンドい。
なのに脈拍や体温・血圧などのバイタルは正常。こんな時は、なぜこのシンドさがグラフ化されんのや!と憤慨しますが、どうしようもない。
で、翌日になるとさらにシンドさが増していると、昨日の10の7は間違いなのか?果たして自分の10の定義は何処へ彷徨うのだろうか?
と、人事不省に陥り少しドタマが混乱しきった状態が、10の9なんですな。
10の10は、意識喪失を想定しています。
ここまで来たら、なかなか自らの状態を冷静かつ正確には伝えにくいですね。
そこで、日頃からナースちゃんとは仲良く話して、デフォの自分をしっかりと脳裏に焼き付けてもらわないとならないのです。
その必然性から、若い女性を苦手とする私ではありますが、幾多にも渡る艱難辛苦を乗り越えてナース達と日々じゃれ合うのであります。
狼少年ではありませんが、日頃からシンドいシンドいと言い続けている患者は、あまり相手にされない傾向が伺えます。
落ち着いて、シンドい時だけシンドいと言うことにします。
2017.12.14
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