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横暴なる取材と、言葉の暴力の是非/雑感 〜疑問を呈して正すのと、暴言で傷付けるのは大いに違う〜

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2019.8.7 エッセイ

どうも、シバク・ドワレです。

私は、一部ネット民が好んで使う、「マスゴミ」との言葉が嫌いです。

これは、主に犯罪や事故の被害者及び家族の方達に対して、無礼極まりなく思いやりのかけらもない報道陣に対して吐き捨てられる文言です。確かに無礼な取材方法を行う報道人も多く存在しますが、そのような行為に対して意趣返しのように感じられてしまい、議論ではなく子供の喧嘩のごとき稚拙な行為に捉えられてしまうので、賢いことだとは思えません。

 

いや、何もそれが自分に対して発せられているから怒っているのではありません。

私は往年は頻繁にマスコミの依頼にて取材活動を行うフォトグラファー&ライターでしたが、今は闘病により休眠状態ですし、そもそも事件事故分野の依頼は受けていませんので、対象では無いからです。

 

そんなわたくしごとはどうでも良く、大事件の被害者などの相手の気持ちを考えずに土足で踏みにじるような行為と取られかねない取材方法は、私も嫌いではあります。

しかしそのような取材は糾弾されて然るべきだとは思いますが、そのようなマスゴミなどとの汚い言葉を匿名で使う事でしか自らの思いを発せられない人々に、苛立ちを覚えるのです。

 

中には病的理由や家庭環境などで表に出られず、ストレスが溜まる人も存在するのは理解できます。そのストレス解消の手段として、インターネットで誰かを攻撃してウサを晴らすのかもしれません。

私だって入院中は、刑務所よりマシかなと思えるくらい自由の剥奪を感じる時もあります。

しかし、それをブログで毒を吐いたり愚痴程度は書きますが、決して特定の個人攻撃はしません。それよりもっと建設的な方法、例えば旅の予定を考えることなどで発散しています。

 

いかんいかん、まるで、暴言を吐くのが家に引きこもる人に限定したような文調になってしまいましたね。そのような人を攻撃するのがこの記事の本意ではありません。

 

逆に、あくまでも邪推の範疇ではありますが、ひょっとしたらマスコミのことをマスゴミなどと吐き捨てたり、芸能人やアスリートが売れたり記録を残すたびにケチを付けるヒトの中には社会的地位が一般的に高いとされる方もいるかもしれません。

そのような人ほど、自分より目立つ人が現れると自尊心を傷つけられ、周囲には判らないストレスが内在し、それが暴言や犯罪につながるのかもしれないですね。

 

ちょっと論理が飛躍しましたが、この記事の論点は匿名での攻撃なのですから、どのような素性の人がネットニュースに対して汚いコメントを書くかなど判りっこありませんよね。 

それが匿名だろうが記名だろうが、攻撃内容が不特定多数に対するものであれば、大した問題ではないのでしょう。しかもそれが対マスコミなどの極めて抽象的な書き方であれば、どの報道人も気にも留めないのではないですか。彼らはそれほど暇ではありませんから。

 

しかし、個人的ストーカー行為は無論のこと、ある特定の団体や個人を執拗に攻撃するコメントも、ヤフーニュースなどで散見します。

それこそが、言葉の暴力ではないだろうかと言いたいのです。

 

表現や言論の自由などと大それた論を持ち出すまでもなく、誰しも思うことを表現するのは自由です。

が、その自由には裏にとてつもなく重たい責任を背負っていることを、暴言を吐く人は認識しているのでしょうか。正当な理由もなく個人攻撃を見知らぬ人から受ける恐怖を、考えた事は無いのでしょうか。

自由とは何をしても許される事を指すのではありません。

 

インターネットに於いては、事は暴言に限らず、他人の記事や画像を許可無く使用する行為も同じくらいに悪いことだと思います。

日本では、機械や道具などの完成された製品、つまり設計図や工程のあるものの模倣に対しては厳しいが、絵画や小説、写真などの知的財産に対しては物凄く甘い国民性が有ると思っています。

私に限りませんが、たった一枚、ワンカットの写真を撮るためにいかなる苦労が裏にあるか、などはとても軽視される風潮があります。だから、簡単に盗用するのでしょう、罪の意識も無しに。

 

仕事が大変なのはどんな職種でもつきまとうことですから、カメラマンのたいへんさをわかって欲しくて述べているのではありません。

仮に、

「アンタの写真なんて手抜きやな、誰にでも撮れるわ」

と誹謗されたとしても、決して

「それならアンタが撮ってみ?同じように撮ってから文句言い」

などとは言い返しません。

 

なぜならそれは私の作品に対するその人が感じた真っ当な評価だと思いますし、シロウトさんに対して口惜しければ同じように撮ってみろなどと言えば、そのような中傷好きな人と同じ土俵に上がる結果になると思っているからです。

街中での、肩が触れたなどとの言いがかりに対して、同じ目線で言い返して喧嘩になるのと同じですよね。

どんな世界でもプロがアマより慣れており、作業が早いのは当たり前。

あとはどのような評価を受けるかは能力次第なのですから。

 

私が自分の記事中に掲載している全画像に、クレジット(撮影者名)を一生懸命入れているのも、どんな捨てカットでも総ての画像が私の大切な作品だと思っているからです。もちろん盗用防止の観点もありますが、自分で撮った証明にもなると思うからです。

 

誤解を招くといけないので書き添えますが、仲の良い人の記事を親しみを込めてリンクを貼り、その紹介として誰が元ネタを書いたのか判るように丁寧な解説を加えている方は立派だと思います。他人の記事の紹介など、自己中心的な考えでは生まれませんからね。

 

私が言いたいのはそのような視界を広げるためのリンクでは無く、他人の記事や画像を勝手にコピーして自分が作ったように貼り付けたり、もしくは文脈を入れ替えたり画像処理をするなどの小細工はするものの、結果として元ネタと変わらない構成を自分の作品として発表する人のことを糾弾しているのです。

そのような行為は犯罪だと理解しているのでしょうか。

下へ続く

私怨を述べるのではありません

脱線ついでに、今までの文とは無関係ですが、もう一つカメラマンエピソードを披露させて下さい。

私は報道や商業写真家としての仕事が確立するまでの若き一時期、学校関係のカメラマンに下請けではありますが従事したことがあります。卒アルの写真も撮りましたが、小学生の遠足や修学旅行の記念スナップなどの撮影も手掛けていました。いわゆる、学校の写真屋さんですね。

 

その下積み時代のあるときに、若い母親、私にとっては間接的にお客さんなんですが、遠足かなんかの写真見本を学校に展示しに行った私に彼女が、

「写真(プリント)なんてカメラ屋さんに行けば20円くらいで焼いてもらえるのに、1枚100円もするなんて信じられない!」

と吐き捨てるように言いました。

 

私は、

「要らんなら買わんといて」

などと子供のようなことは言わず、次のように説き伏せました。

 

「あのね、お母さん。買ってもらう方に偉そうに言いますけど、貴女のご主人さんも、どこかに働きに行ってはるでしょ?モノを作ってるのか野菜を売ってるのか、役所で事務をしてるのかは知りませんけど。そうやってお仕事してお給料貰えるから、家族のみんなが美味しいご飯を食べられるんですよ。そのお仕事が、僕の場合カメラの撮影なんです。1枚¥10や¥20じゃ、とてもご飯は食べられないんですよ?」

 

するとその若いママさんは、恥ずかしそうな顔をして、

「あ、そうなんだ。お仕事でしてるんですね〜。気付きませんでした」

と屈託もなく言い放ちました。

 

それはデジタル化などまだまだ先の、フィルムしか無い時代の話で、家庭にも一眼レフなどほぼ普及しておらず写るんです全盛の時の事です。どう頑張っても普通のママには良い写真が撮れない時代です。

そんな時代でその扱いですから、スマホでカシャっとやって、LINEかメールで送ったら終わりの現代ではもっと凄い事になってるやもしれない。いまの学校写真屋さん(写真館)もただでさえ少子化なのに、売り上げがスマホに邪魔されて大変だと思います。

中には極悪非道な例として、展示してある見本にある我が子が写っている写真をスマホで複写して、買わずに帰る人もいるらしいですよ。

 

それくらい、著作権知的財産権が軽んじられているのが日本なんです。

この若いママに悪気は無かったでしょうが、このやり取りだけでも言葉で暴力を受けたと、まだケツの青い駆け出しだった私には思えました。

直接的に写真がヘタクソと罵られるほうがまだましだったかもしれません。仕事とは思われず、まるでボランティアで撮影をしていると思われていたことがショックだったのです。

 

かなり論点がずれてしまいましたが、言葉の持つ重みを感じる若き頃のエピソードでした。

 

これからもブログは続けますが、今まで同様毒舌で行儀の悪い人をぶった斬ったり、得意分野を自慢することをやめはしませんが、くれぐれも個人攻撃にならないように留意して、それを読まれた方が曲解して傷付かないようにはしていきたいと思います。

2019.8.7

 

ご閲覧ありがとうございました。よろしければ他の記事も覗いて行ってくださいね。 自作キャンピングカーと大型オートバイを中心に、夫婦での旅記録が主な内容です。

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