大盛りの美学/雑感 〜食って食って食いまくり、育てるのはがんではなく己れの心なり〜
スポンサーリンク
2019.10.23 エッセイ
どうも、シバク・ドワレです。
昨日は、天皇陛下が国内と世界に向けて即位を宣明されたおめでたい日でしたね。
私は、もちろん戦前に生まれその時代背景で初等教育を受けた父母のような、絶対唯一の現人神としての天皇観は持ち合わせていない世代なのですが、高御座からお出ましになられた陛下の御姿を拝見すると、心安らぐ瞬間でした。ただ純粋に日本人として、日本に生まれて良かった。
祖国の伝統を誇りに思い、歴史の重さに身を正す。その重要性を再認識できた素晴らしい一日でした。
他国民族から我が日本の皇室の存続について議論していただかなくて、けっこうです。内政干渉です。様々な思想信条の自由から、日本国民が行うならともかく。
世界に誇れる皇室の伝統。
一つの家系として代々の帝が2700年近く継続していることは、地球の何処を見渡してもあり得ない、唯一無二の真のエンペラーと呼べるでしょう。
私は今でも国民の象徴などではなく、君主として崇めております。人間として尊敬できるかただからです。
あくまでも内閣総理大臣は政治を司る、国民の代表者。昭和から平成、そして令和と時代が移っても、私の中での国家元首は天皇陛下だと、強く思うのであります。
日本人の心の拠り所。
マッカーサーの政策は、決して間違ってはいなかったと思います。
もしあの時に皇室が解体され、昭和天皇に戦争責任などを立件していたら、連合軍の中でもソビエトやチャイナの割拠に拠り共産圏に取り込まれたみすぼらしい国に成り果てていたかもしれません。
おそらく東日本と西日本の敵対する二国に別れて現在も悲惨な状況を呈していたでしょう。
それを、平服に身を包み固い椅子の列車で全国を巡行されて、日本の復興に尽力された昭和天皇。そのお人柄は、連綿と上皇さまと今上陛下に受け継がれていると思います。
日本人が一つになり、欧米列強から再び独立復興し奇跡的な成長を遂げたのも、心の支えが有ればこそです。
天皇陛下、万歳。
神格化してそう思うのではなく、人間天皇として素晴らしき気候風土と四季を備えた我が日本をこれからも精神的に統治していただきたい。
国民主権など当たり前ですが、この乱れきった日本の道徳・風潮をこれ以上崩さないためにも、切に願います。
さて今週末、長かった入院生活に区切りを付けてようやく退院できるのですが、一足早く連日、食う記事ばかりの更新です。
天皇陛下を崇めた文のあとに大盛りの食ざんまいとは不謹慎かもしれませんが、こうやって大食いできるのも常に国民に寄り添う陛下のお気持ちが嬉しいからです。
腹が減って寝られないレベルでは無いのですが、けっこう来ている。
なんか病院ベッドの上で眼をつぶると食いモンが浮かんでは消え、ちぎっては投げ。どうやら満腹中枢と空腹感を司る自律神経がおかしくなり、オツムがバカ食いの方に向いている模様。
もともとそれほど大食いってほどでは無かったのですが、若かりし頃の一時期は人間ポリバケツと呼ばれたときもありました。食ってたんかい。どっちやねん。
そんな果てしない無限の食い方するから大腸がんを発症したのかどうかは知りませんが、それにより罹患前はぶくぶくと肥っていたのは事実です。
いちばん食っていたのは、なんと言っても大学の体育会山岳部現役時代。
しかし、食っても食っても太らないほどのハードなトレーニングと登山をしていたので、単に胃をおっきくしてただけでしょう。その頃のバカ食い癖が抜けないのです。アスリートと呼ばれるくらいの運動をしていた人物ほど、辞めると急に肥えますよね。アレです。
大学を卒業しても登山をやめはしませんでしたが、やはり家庭や仕事を持つとペースは落ちていましたので。
山岳部では年に5回、合宿と称する長期山行を行います。一回に20日くらい、山にこもるのです。
5月の新人合宿に始まり、7.8月の夏山・10月の秋山・12.1月の冬山、そして3月にいちばんハードな雪山合宿をして、なんにも知らずに入部してきた一年生をいっぱしの岳人に育てあげていました。
その合宿では、多い時は一人当たり50kgくらいの装備・食糧を担ぎ上げます。部によって違いますが、我々はそれを実際の行動のためだけではなく、ボッカ訓練と言って担ぐ能力を高める手段としても行なっていました。
なにも50kgも担がなくとも。。。と思うでしょうが、それは遭難が起こった時に自力で救助・解決できる能力を少しでも高めるトレーニングを兼ねていたのです。人間を担いで長時間山を登るには、50kgでも少ないくらいですから。
それだけの活動をする訳ですから、当然山の上では腹が減ります。
しかし、無尽蔵に食糧がある訳では無いし、当然日々減っていきますから、合宿も後半になるととてもひもじい思いを強いられます。が、ありがたい事に、合宿には時としてOBの先輩が参加してくれて、下山後に回転寿司に連れて行ってくれたりしました。
あれは確か北アルプス鹿島槍ヶ岳の春山合宿を終えた新人の春の事です。
当時(38年くらい前)は、スシローなどの大手回転ずし店もまだ無くて、くるくる回る寿司は珍しく、大町市の国鉄大町駅前にあった寿司屋が一皿¥100だったかどうかは覚えていませんが、そこで55皿食ったのは明確に覚えています。
もう時効ですから打ち明けると、未成年の一年生なのにビールもたらふく飲んでのその皿数ですから、いったいどんな胃をしていたのか、今となっては興味津々です。
なんにせよ、当時消防のレスキューをされており、昔の公務員ですから決して裕福ではなかったであろう6つ歳上の若きコーチだったH先輩、散財させてすみません。ごっつぁんでした!
下へ続く
学生はどんどん食って成長するべし
時は流れて、いちばん上のカレーとこのタンメンは、3年前の暮れに北陸〜信州〜北関東をロングキャラバンして、最終的に東京見物をした時に明治大学の神田駿河台キャンパスを訪れた時のものです。
目的は妻のたっての願いにより、地下にある拷問博物館!だったのですが、ついでに昼メシを食いに最上階にある展望学食に寄ったのです。
蛇足ですが、大学のことをまったくご存知ない人に説明しますと、基本的に大学はオープンキャンパスとなっており、誰でも自由に敷地内に入って見学することができます。もちろん所定の講座以外は講義中の教室内には立ち入ることはできませんが、学食や生協などには自由に入れます。
この明大神田キャンパスの展望ラウンジと学食は付近の名物らしく、我々の他にも多くのビジネスマン風一般人やお年寄りが食事を楽しんでいました。
その中で、私の目を釘付けにしたのが威風堂々と鎮座する、トリプルシリーズのサンプルでした。
カレーライスと、タンメン。
どちらも私の大好物です。
しかし、いくらなんでも両方は無理なので、悩み通した結果、トリプルタンメンにしました。妻はノーマルなチャーシューメンを頼みましたから、トリプルをほとんど一人で完食です。さすがに最後のほうは延びてきましたが、コスパは抜群。
やはり学生食堂、学食は良いですね!
聞くところによると、現代の学生は、相撲部や柔道部、ラグビー部などの格闘系を除くと、体型を気にするあまりたとえ体育会でも小食であり、このようなトリプルメニューは一人でガッツクためにあるのでは無く、3人以上でシェアするためらしい。
それはそれで苦学生にとっては有難い話ですが、そもそも明大に苦学生なんか存在するのか疑うのは、穿った考え過ぎでしょうか。
何はともあれ、美味かったです。
ああ、書いててまた東京の学食へ行きたくなりましたので、おそらく来月行くでしょう。今決めました。
楽しみや〜!
2019.10.23
ご閲覧ありがとうございました。よろしければ他の記事も覗いて行ってくださいね。 自作キャンピングカーと大型オートバイを中心に、夫婦での旅記録が主な内容です。