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生きるという事

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始めにお断り
ブログ主が死去したにも関わらず、妻が勝手に更新する事に対して自分のブログを立ち上げて書けばいいだろう!と不満のある方はここでお引き返し下さい。
前回はドワレ死去に関してのご報告でしたが、今回はドワレ死後に心無い行いをした人に対して思うところがあり書かせていただきました。ーーードワレ妻よりーーー

 

いつの頃からかイジメっ子の正体が分かり難い時代になり、イジメ方も陰湿になってしまいました。
昔はイジメられれば転校したり不登校になりさえすればイジメから逃げる事ができ、自分の周りの環境をリセットできる可能性があった事から「高校デビュー」「大学デビュー」なんて言葉があったものです。

しかし今はイジメっ子が現場の映像をネットにアップし、イジメられた子が人生をリスタートできないよう一生消えない闇を解き放ちます。

イジメっ子も近頃では個人情報がネット上にアップされ無傷ではいられない時代になっていますが、それでもイジメや誹謗中傷は止みません。

日本は「アベレージ的感覚」が求められるせいか、少しでも違った能力や考え方をすると攻撃される事が多くイジメや誹謗中傷が止まないのかも知れませんね。

昭和が終わって30年以上経った今でもイジメはなくならず、リスタートする事もできないまま癒えない傷を抱えている人が本当の意味で手を差し伸べられる事もなく悲しき日々を重ねています。

何となくな理由でイジメをしている人

自分に落ち度がないのにイジメられる理由を探し続けている人

どちらも不幸である事に早く気づいて欲しい

毎日学校の門をくぐれていますか?
病や障害があっても学校の門をくぐり多くの仲間に囲まれている事を幸せと気付いて欲しい。
様々な事を吸収し未来への可能性に溢れている素晴らしい時期にわざわざ闇を纏わないで欲しい。

自死を選んだ人に対して攻撃をしてはいけないし肯定をしてもいけない。
苦しく耐え難い人生を生きて来た人と自死を選んだ人との差は何なのか?

今生きている人に考えて欲しい。
自分が行っている行動の先に何があるのかを

末期ガンであるドワレが抗がん剤治療を受けながら仕事に趣味にと飛び回っている事に対して

末期ガン患者は自宅で大人しくして、介護してくれる人間に媚びへつらって死んで行けばいいと平気で言って来た悪魔がいた

まるで野生動物のように死期を悟ったら一人で孤独に死ねと、自分が

病に陥った時、自分のパートナーが病に陥った時にもそうするし他人に迷惑をかけるべきではないと言った悪魔。

ドワレはそのような言葉に気落ちするような弱い人間ではなかった。
しかし、抗がん剤の副作用で検査データ的に最悪である人間に対して吐く言葉ではないと思うし、平常心でいろというのも無理な話し。

その悪魔は影でそのような事を言っておきながら周囲の人間にはガンでおかしくなったんじゃない?一人で怒って絶縁して来たという話しにすり替えている。

今更その悪魔や悪魔の周囲の人間に対してとやかく言う事はない。
二度と会わないし、会う事も無い。
ただ死んだ後にワクテカで近寄って来た時には「殺されたいのかコイツは」と思った。
いつもニコニコする事しかできない妻が悲しみ打ちひしがれている姿を期待している悪魔。

残念ながら私は「お育ちのいいお嬢さん」では無い。
悪魔が期待している状態と私の現状は程遠い状況であると伝えておこう。

私が怒り出す前にドワレが絶縁したから悪魔にとって私はドワレの横で置物のようにニコニコ笑っているだけの妻で終わっているだけの話し。

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(kuma-yomeがそっくり!と言われているアプリゲームのキャラクター現在配信終了)

何年もの長い間、辛い抗がん剤治療に耐えて全ての事に関して全力で生きて散ったドワレ。
生きて出る事の出来なかった病室内で、私と担当医のやり取りを聞いて奇跡は無く本当にこれで終わりなのだと悟っていただろう

私には呂律の回らない口で「個室代要らんように言ったから、初日は本人が納得したからしゃあない」とだけ言っていた。
私がいない時には面会に来た人に「いつもと違う環境やから心配や」と何度も言っていたと言う。

二人っきりで部屋にいる時は何も言わず、私が看護婦さんに少しでも質問しようものなら「要らん事いうな」と怒っていた。

奇跡なんて本当はない

「俺の5年後の生存率は15%や」「しょ〜もない事でイライラさせんといてくれ!時間が勿体ない」と出会ったばかりの頃、私に言ったのをドワレが覚えているのか今はわからない。

「再発ですね」と診察室で言われた時、再発がわかった直後に「籍を入れよう」と言われた時私の頭は平常心だった。

未熟児で生まれ、子供の頃からずっと体が弱かった私は結婚も出産も無理だと医師から言われていたが、結果的には二度も結婚し最初の結婚では子供も出産した。

出産後数日で死ぬかもしれない子を産み、10年以上もの間出産した病院へ検診に通う日々。
その子もなんとか成人し、結婚して子供ができた。
医学の進歩とはそういったものだ。

現状がどうであるかではなく今後どうなるかが大事。

私の周囲にも結婚後パートナーが病になって満足に日常生活ができなくなったからと「騙された」「ハズレくじ引いた」的な言葉を平然と口にする者がいた。
そのパートナーには何の落ち度もないにも関わらず。

私も私の子も生まれた時や子供時代では将来に希望を持っては行けないと言われる状況だった。
それでも次の命を繋いでいる。

そこへたどり着くまでの人生が平坦であった訳ではない。

悲しみや不幸から自死を選んだ人と自分との差は単に縁が無かったから

としか言いようがない。

以前「シゴフミ」というアニメで、自殺をした高校生の親が嘆き悲しみ、同級生を教室へ閉じ込め問い詰めている時、手紙が死者から届き「何となく飛べると思ったら飛べた」と言ったような内容が書かれていた話があった。
自死を選んだ人の中にはそう言う人も一部いるのかもしれない。

しかし、こんなにも不幸が続くのなら死にたいとか気が変になったら楽なのにと思う人がいたとしても成し遂げる事は難しい。

自死を選ばなかったからといってその人が幸せとは限らないし、苦労を知らないわけではない。
そういった事は他人に自慢して回ることでもないから知らせなくてもいいだけの事。

 

最期の病室で「うに〜」「いくら〜」「チャイ〜」と苦しい息の中、周囲を呆れさせる程の食欲があり、キャラバンのリフォームも終わっていないと言っていたドワレ。

 

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本人データより(夢にまで見たウニとイクラ。いつも独り占めできるのが嬉しそうだった)

誤嚥で死ぬ恐れがあるからと水を飲む事ができなくなった時口を湿らせる為のスポンジをくわえて離そうとしなかったドワレ。

あまりの力に看護婦さんが困っていたので「誤嚥で死にたくないやろ?」と聞くと「誤嚥嫌や〜」と言って口を開けていた姿に生に対しての執着を見た。

実父の事を「まだ生きる事ができたのに誤嚥で死んだ」と憤っていたので、ドワレにしては珍しく素直に従ってくれたのだろう。

しかし、大学の先輩が「退院したら車椅子押したるから延期してた宴会しよう」と言った時「車椅子嫌や〜」と言っていたので車中泊とか好きな事我慢してたら死んでまうわと普段から言っていた事は、脳内出血があろうが感染症に侵されモルヒネが投与されようが変わらない。

ドワレの悪魔に対してだけでなく、世の思いやりがない人に言いたい。
不幸だったり、苦労をしたりしたのは自分だけではない。
人それぞれ不幸や苦労があり、他人から見てくだらない事であってもその人にとっては死ぬ程辛い出来事もある。
そして、毎日笑顔で穏やかに過ごしていたとしてもその人が不幸知らずではないと言う事。
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(ドワレデータより 上高地を歩く後ろ姿 この時の靴は現在妻が使用中)

ドワレはよく「ワガママ」だと言われる。
独特の話術と気遣いで相手を自分のペースに巻き込んで「ワガママ」な振る舞いを周囲に認めさせていた。

最期の最期まで私には殆ど弱音を吐かず、自分らしさを貫いたドワレ。
私はドワレの死後、目を背けていたドワレへの不満や怒りとも向き合ってきた。
山のように積まれた二部屋分のガラクタとも闘って自分の背丈よりも大きい家具から小物まで様々な家具を解体し、ドワレに負けず劣らずのケチっぷりを発揮している。

生前ドワレが言っていた事を少しでも多く叶えたいと思うが、それは綺麗事ではなく自然な気持ちからである。

たった五年しか戸籍上夫婦では無かったが、それが夫婦のあるべき姿なのだと思う。

住むところすら決まらぬ現状で、毎日泣き暮らして無駄にお金や時間を浪費する事をドワレは望んでいないし、そんな妻を求めてはい無いだろう。

ガンが再発しようと、次々と転移しようと平常心でドワレのしたい事を止めず怒らずついて行く。
食べる気持ちがあるのに食事量が極端に減り、落ち込んでいる姿に「同世代の人見てみ?それくらいしか食べれてないで」と客観的に伝え、食べては吐く姿を見ても動揺しなかったが、仰向けで口を押さえて嘔吐感をこらえている姿には「死ぬで!」と怒鳴りつけたりもした。
倒れる1、2日前だったので正常な判断ができなかったのか「ホンマやな」と言って洗面所へ歩いて行った後ろ姿。

数年前、ガンが全く大きくなっていないのはガン細胞が死んでいるのかそれとも大きくなれていないだけで生きているガン細胞なのか?と判断がつかない状況の中、抗がん剤を辞めるかどうか医師に問われた時「抗がん剤で苦しいのも辞めて死んでまうのも自分やから自分で決めたら?」と言った時、他人からすればなんと冷たい嫁と思われたかも知れないが自分の生死をかけたギャンブルに他人がとやかく言うべきではないと思ったからそう言った。

他人に言われて不本意な選択をした時、後悔しても命は一人に一つしかないのだから、自分でl決めるしかない。
不安を口にして来るのは良いし、どんどん吐けば受け止めよう。

しかし、ドワレの意思を捻じ曲げようと悪意のある言葉を吐くべきでないし気力を奪ってもいけない。

ドワレが倒れる前、最後の抗がん剤入院の時に珍しく担当医に対して不満を言った事があった。
かなりキツイ口調でLINEの文面から怒りが伝わって来ていた。
その時既に脳内出血の方が進行していたのかも知れないし、長年の抗がん剤や取り扱い注意レベルの痛み止めで冷静さを保てなくなっていたのかも知れない。

退院後の脊柱管狭窄症手術前検査に行く時、予定を聞いていなかった私に「ついて来てくれ、お前がおったら安心や」と言った声の弱々しさ。

今思えばその頃から異様に優しくなって来ていた。
「一人でおったら寂しいやろ?」とAmazonプライムに加入してくれ、それまで一切触らせなかったiMacWindowsモードの起動方法を教えてくれた。

初めて一緒に見たのは「翔んで埼玉」で大笑いし「こんなんええんか!」と言いながら映画内の関係図(ちばらぎ が何故ダメなのか、さいたま県内の市間で揉めてる理由等)を解説して貰いながら楽しく時間を過ごした。

その後は「疲れた」と言って直ぐに寝てしまったが、数日後には「岳」を見ながらまたもや解説をしてくれる。

さいたま県に海が無い事を知らなかったし、上高地で何度も行ったり来たりするヘリコプターを見て「めっちゃ遭難事故多いんやな」と言っている私に笑いながら解説していたドワレ。

もう映画を見ても、出かけた先で珍しい物を写真に撮っても教えてくれるドワレはいない。
リアル、ネット問わずイジメや誹謗中傷する人にわかって欲しい。
もっと生きたい、もっと時間が欲しいそう思いながら死んで行くしか無かった人間がいた事。

初めてドワレの家に行った時、真っ正面のカーテンレール上にサボが飾ってありビックリしたし、押入れにしまってあった「俺の書いた記事が載ってる雑誌やねん」と言って名前の部分を見せてくれた事にも驚いたが、一番驚いたのは俺だってガンちゃうかって金さえあったらヒマラヤに登れるんや!金があったら登りたいんや!」と言っていた事。

当時は最初のガン治療が終わり、仕事復帰を始めたばかりで収入も少なく体力が落ちてフラフラだっただろう。

「五年後の生存率は15%」と言いながらやけにならず人生を諦めず、先を見つめていた姿に目を見張った。
籍を入れる前に「再発したけど今は五年後の生存率って何パーなん?」と聞いてみた。
不安からではなく、知り合って最初の一年目は「不安なんかな?怖いんかな?」と思うくらいに言っていたから。
するとその時「そんなん統計上の問題なだけや」と言ったのでそれ以降聞く事は無くなった。

抗がん剤治療のせいで、血が止まり難くなったドワレに「バイクに乗ったらアカン」とは言えなかった。ただ一言「大丈夫なん?」とだけ言ったから、ドワレは大型バイクの免許を取ったし、北海道ツーリングへも行った。

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最後のバイク (自宅にあったパーツは善意の第三者さまの協力により購入したショップのメカニックさんに届けられました。)

付き合い始めた頃「ドワレに山をやめさせんといて欲しい」ドワレが兄と慕う人から言われた「冬山は一人では危険で、信頼できる相手がおらなアカン」というのが理由らしいが、その時もやめさせる気はさらさら無かったから、血が止まり難いとか関係無かったのかも知れない。

心無い行いをする人へ

自分だけが不幸だと、自分だけが可愛いと思うのは勝手。
でも、自分と違うタイプの人間を攻撃しないで欲しい。
合わないのなら積極的に近寄らなければいいのだから、自分の友達には自分の好きな人とだけ仲良くして欲しいなんて言うのもエゴだし、親兄弟、夫婦、友達、どんなに近い関係であっても相手は自分では無いのだから自由にさせてあげて欲しいと思う。

負けず嫌いだったドワレは医学上の統計だったり、自分を妬む人間に対して最期まで自分らしく生きる為に選んだ相手が私である。

若い頃に入ったままのガン保険で死亡保険金が少なくても「何とかしよるやろう」と信じた相手が私だったと言う話し。

 

もっと生きたい!時間が欲しい!もっとやりたい事がある!

そう思っていたかどうかは本人ではないから分からないですが、残っていたMacのデータからはそう感じられるメモが多く残されています。

私の周りでは、肉親や友人の愛情をいっぱい受け、勉強やスポーツの才能にも恵まれていた同級生達が重い病や事故で突然この世を去ったりました。

不幸の影が全くない子がある日突然特定失踪者として新聞に載りました。

変化に富んだ人生は私の性格上好みませんし、精神的にはついていけません。
しかし、人がいくら今のままがいいと現状維持を望んでもうまく行くとは限らず、一瞬でそれまでの当たり前が消え去ってしまう事もあるのです。

長くなりましたが、ドワレの悪魔にはこれ以上接触してくる事はしないで欲しいと切に願います。

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(ドワレ祭壇撮影)

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