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老いると云ふこと/雑感 〜経年劣化は防げても、突然の故障は予知不能〜

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2017.12.17 自体エッセイ                                            画像:北海道野付半島とX4 typeLD

どうも、シバク・ドワレです。

 

40になりたての頃、今では古臭い言葉だがいわゆるアラフォーの時分は老いてゆく実感などまるで無かった。積極的に出身大学山岳部の活動に監督として携わり海外遠征もしていたし、個人でも山行を切らすことは無かった。

オートバイにも乗り続けて、正に青春を謳歌していたのである。

 

それが43の頃に発症した結腸がんを境に、少し感覚が変わった。

正直に言うと、傲慢ではあるが未だに筋肉や腱などの肉体に衰えは然程感じていない。筋力や精力の低下よりも、臓器の機能に障害が出てしまったために、老いたとの自覚よりも故障発生による機能低下で通常運行に支障が出ている、との感覚に近い。

 

具体的に述べると、原発時の切除により私には胆嚢が無く、大腸も平均に比して半分程度の長さしか無い。

肝臓も転移再発時に先端を切除したのだが、この臓器に限ってはある程度再生するので問題は無いと感じている。しかし、前述のふた臓器の欠落。これでは通年下痢をしても仕方ないだろう。

人間の体は、胃で食物を消化し、小腸で養分を吸収して、大腸で水分を吸収するからである。なので、脱水には極度の気遣いが必要となる。

再び夏山で思う存分爽やかな汗を流したいものだが、それも過去の栄華。無理をすれば、即座に死が待ち受けているだろう。

 

ところがヒトの身体の順応性は素晴らしく、どうやら小腸が徐々に水分を吸収し出したようで、以前よりは足のだるさなどを感じにくくなってきている。胃を全摘した患者の食道が、その代わりに働くのも一例であろう。

胆嚢が存在しないのにカツや天ぷらが未だに美味しくいただけるのは幸せな事だと思う。

 

副作用の筆頭 

しかし、万年下痢。

これの苦痛は真綿で首を絞められているような、なんとも気分を不安定にさせる要因となっている。心臓や腎臓などには人工臓器が各種用意されており、運と金回りさえ良ければ永らく生き延びることもできそうだが、死へ直結しない消化器の類にそのような代替品は無くかなり辛い思いを強いられるのが現状である。

 

10年下痢が続いているのに体型を高値安定させているのは私の妖怪たる面目躍如な訳であるが、おそらく小腸の養分吸収率がずば抜けて優れているのかもしれない。

健常者ならメタボの危惧と常に戦わねばならず、そのあまりの燃費の悪さに辟易するだろうが、私はその回復力と共にどんなアスリートにも負けない誇るべき肉体であると自賛している。

 

ことほど左様に、日々パーツのメンテナンスに忙殺され、私には老いている時間など無いのである。

2017.12.17

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