夏休み キャラバン いざ上高地へ!五日目前半・快晴の朝、痛快なる穂高連峰を離れるまで/セミロングキャラバン 〜穂高よさらば、また来る日まで〜
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2019.7.27 上高地リゾート最終日
どうも、シバク・ドワレです。
私達が信州を訪れてから天気は実に安定しており、梅雨だというのに昼間は晴れて夜間は大雨が続いていました。
上高地から下山するこの日も同様で、朝6時頃に目覚めてみると、この上ないドッピーカンです。早速寝ている妻はそのままに、独り撮影に梓川まで出かけました。
観光客は河童橋を渡るのが目的なのか、その周辺のスイーツを食べるために来たのか知りませんが、少し奥にこのような日本離れした絶景が望めるポイントがあるのを知らないようです。
仏語で国家憲兵隊、すなわち前衛峰を意味するジャンダルム(画像中央左)を従えた奥穂高岳(同左奥)と、その遥か麓に存在する緑のアルプは、まさにアルプスそのものです。
スイスアルプスに行けないから、フランスのシャモニーからモンブランを望むことが叶わないからここへ行くのではなく、日本の、信州と飛騨に聳える穂高岳を観たいから行くのです。
紺碧の夏空に、黒々と聳え立っていた大岩壁が、一瞬だけ、ほんのりとモルゲンロートに燃えてくれました。
光線の具合と空気中の水蒸気の割合が創り出す、大自然の芸術に酔いしれた私は、無我夢中でシャッターを切り続けました。
峰々の演出を30分ほど楽しんだ私は、ふと足元に流れる、槍沢と涸沢が合流して流れてくる梓川の逆光に、5分ほど、本当に5分は川面を見つめてただ立ちすくみました。
悠久の川の流れ。
私の想像など及びもつかない太古からのその雪解け水を見つめていると、日々雑多な生活をしてストレスを抱えている、と勝手に決め込んでいた心が解き放たれました。
病気で治療をしなければいけない。
生活のために仕事をしなければいけない。
近所や世間の目をはばかり、普通の暮らしに努めなければならない。
そのような雑念が、この清流によってすべて押し流されたのです。
しかし、もちろん治療はやめないし、依頼が来る限り仕事もする。
ご近所で挨拶はするし、町内の治安に微力ながら貢献したい。
それらのごく当たり前のことを再認識させてくれる、穂高の山と川でした。
妙齢のご婦人が、同じように川面を見つめてずっと動かずにいました。
ひとそれぞれ、抱える環境も境遇も違います。
しかし、このアルプスの素晴らしき景観は、それらの人間の営みなどアリの働きに等しいと言わんばかりに、動かざること山の如し。あ、山か。
下へ続く
名残惜しくはあるけれど、いつかは帰らねばならぬもの
チェックアウトの10時ギリギリまでケビンに滞在し、受付にてキーを返します。
この瞬間が、いつもどこへ行っても哀しく寂しい時。
が、今日は台風6号が岐阜や甲信越に上陸直撃予報が出ていますから、あまり悠長なことは言っていられません。
過去に、キャブコン(トラック架装型キャンピングカー)に乗っていた時、東京の新聞社編集局に取材の打ち合わせにそれに乗り向かったのですが、ちょうど富士山のふもとあたりで強烈な台風に直撃された経験があるのです。
その時は東名道が通行止めになり、国道1号にある道の駅富士で台風をやり過ごしたのですが、本当に怖かった。
重心が高くてFRPのボディをもつキャブコンは、横風に弱いのです。
夜中、幾度も幾度も片側のタイヤが浮くほどの強風に煽られては、元に戻る。
それの繰り返しで結局暴風域から抜けるまで、一睡もできませんでした。まだ、立山雷鳥平のテン場で三連発の台風をテントでやり過ごした時の方がマシでした。
キャンピングカーは風に弱いのです。
クマが出たそうですが、山ですから当たり前です。
妻曰く、いつもクマと一緒にいるから怖くない、とのこと。
この日は土曜日ですが、台風に備えて下山する登山者も多くいました。
早朝のドッピーカンが嘘のように、みるみる雨雲が渦巻いてきます。
穂高よさらば また来る日まで 奥穂に映える 茜雲
帰りみすれば 遠ざかる まぶたに残るジャンダルム
この山岳部時代に口ずさんだ歌が、思わず出てきました。
また来よう。
2019.7.31記
ご閲覧ありがとうございました。よろしければ他の記事も覗いて行ってくださいね。 自作キャンピングカーと大型オートバイを中心に、夫婦での旅記録が主な内容です。