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いきる/雑感 〜張り切って、前だけ向いて元気良く〜

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2019.11.19 エッセイ

どうも、シバク・ドワレです。

今回の入院はたっぷりと遊んでから治療を開始したせいか、気分的な副作用はマシではありますが、なんか食欲が減衰気味。ラーメンしか欲しくならん。しかし長旅で毎日毎日好きなものだけをたらふく食べて冬眠に備えましたので、栄養失調にはならないでしょう。医師も看護師も、心配するそぶりもありません。

 

さて、本日の表題、いきる。

その言葉を聞いて、まず何を思い浮かべますか?

生きる?活きる?

面白いことに、いくとの文言には「生く・行く」と共に、「逝く」との漢字や意味もありますよね。

まさに人生裏表、綱渡りで生きているのであります。

 

私が今日取り上げたのは、大阪弁に依るところの「イキる」です。

判りますか?その意味。

東京弁では「カッコつける・強がる」とでもなるのでしょうか。

ガラの悪い河内弁では、

「ワレ、なにイキっとんねん!」

となり、主にケンカを売るときの常套文句となります。

 

幸いガラのよろしい私はそんな言葉を発する必要もなく、日々平穏に過ごしていますが、ちょっとだけ「イキってるなぁ」と自分で思うときもあります。

このブログ自体が、かなりイキッた体裁なのは自覚しているのですが、敢えて自分が生まれついてのカッコつけなのを隠す必要性も感じないので、思ったままありのままを文章にしています。

 

どのようにイキっているのか。

それは、行儀悪く辺りに迷惑をかける人に遭遇したとき。

私は事なかれ主義がいちばん嫌いなので、それを看過する事ができません。もちろん、いかにも覚醒剤を筆頭とする薬物中毒に侵されていそうな危険人物や、酩酊してどうしようもない酔っ払いなどは相手にしません。不可抗力での正当防衛が認められたとしても、法治国家であるはずの日本ではそれらの犯罪者に対して寛容な社会だからです。

 

仮に妻や、他人であっても弱者がそれら異常者に襲いかかられているのを現認したとしたら、自らの体調を判断した上で常人による現行犯逮捕に取り掛かるでしょうが、できるならば腕力にモノを言わすのではなく、口頭での注意に留めたい。年甲斐もなく腕力に自信はありますが、武道の有段者で無ければ、逮捕術を訓練しているプロでも無いので、対象者に致命的損害を与えたく無いからです。この歳でこの病気で、傷害致死による長年の実刑判決など、受けたいはずもありません。

 

この記事を思い付いたのは、先日上京した折の日誌を上げた際に、エスカレーターの片側空けについて記載したからです。先日の繰り返しになりますが、私は列が長くなるだけで弊害ばかりの片側空けはせず、堂々と空いている方に進んでエスカレーターに2列で乗ります。

学生や若いサラリーマンなどには疎ましく思われて後ろから舌打ちされる事もありますが、その行為はエスカレーターの正式な使用法だと鉄道会社も認めており、ポスターなどによる「エスカレーターでは歩かないで立ち止まって」との啓蒙も関西では始まっています。

 

そもそもエスカレーターやエレベーターとは、足が不自由であるとか、妊婦さんのように歩行に困難を伴う人のために存在する機械です。それを、単に世間的風潮に合わせただけの偽善心から片側を急ぐ者のために空けてやるなど、言語道断。駆け上がれる元気な身体を持っているのなら、階段を人にぶつからないような注意力を持って駆け上がれば良いのです。

おそらく、片側空けを皆が止めれば、エスカレーター待ちの行列が半分くらいに減るのでは無いかと思います。それがラッシュ時の混雑緩和になりますし、ひいては弱者の救済にも繋がる。

下へ続く

なんと言われようが、ポリシーは捨てず

と、このような私見を述べるのは、どうやら今のご時世では「イキる」ことになるらしい。

先日の正義マン記事にも上げましたが、他人の素行を指摘したり補正しようとする行為は、カッコつけ以外の何者でも無い世の中らしいです。それをすると、政治家になりたがっているか、宗教布教者と誤解されるか。

いつからこんな変な世の中になったのでしょう。

少なくとも、私が高校生の頃はそうではなかった。クラスのホームルームで、皆が挙手発言しないので私が最後にそれをすると、半分くらいは白眼視でしたが、何人かにはアレは良かった!と意見されたものです。

 

ホームルームで発言するのを恥ずかしがるクラスメートもおりましたが、私は自画自賛ではありますが、高校2年時より山岳部のチーフリーダーを拝命しており、リーダーとして部を回していましたので、そのような事は朝飯前でした。高校の部活動ですから、合宿(山行)時には必ず顧問の教諭が同行しており、最終責任を部員が取らされる事は無いのですが、行動の判断・指示は私が行いますので、その判断により生死に関わる事態も生じかねません。

審判のいる他のスポーツと違い、登山ではメンバー自らが総ての認知・判断・操作を行う必要があり、常に客観的な考え方をする訓練が欠かせません。

 

おまけに、捻挫や骨折など、歩行困難な事態に陥っても、即座に救急車が駆けつけてくれる訳でもありません。強制されて誰かのためにやるのではなく、自分自身の趣味嗜好のために行う活動ですから、原則的に自己責任はついて回ります。しかし学校から認められている正規の部活動ですから、卑下する必要もありません。

 

例えば、ラグビー部の部員が競技中に負傷したとして、誰かに責められるでしょうか。

空手にしても野球にしても同じです。

それが山岳部だと、仮に遭難事故でも起こそうものなら、下手をしたら教諭の首は飛び、リーダーの停学処分も検討対象となります。それくらい自主性を求められ、かつ監視管理の無い大自然の中での部活動をしていた私には、クラスで手を挙げて発言するなど、なんらイキっているのでもなんでもなく、部室での熱きミーティングの延長でしかありませんでした。

 

もう40年近く前の話を熱く語り過ぎましたね。

それくらい、私の精神的成長の根幹をなす活動が、山岳部のチーフリーダーだったのです。のちに大学体育会山岳部へ進学し、同じように主将・チーフリーダーをしたあと卒業後も監督を拝命できたのも、そのような高校生の頃の経験があったからこそです。

 

私は、昔も今も変わらずに、他人から「イキってる」と思われようが、これからも自らの信念を貫く生き様を呈して行きたいです。

2019.11.16

 

ご閲覧ありがとうございました。よろしければ他の記事も覗いて行ってくださいね。 自作キャンピングカーと大型オートバイを中心に、夫婦での旅記録が主な内容です。

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