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モノレールが帰ってきた日/雑感 〜あの日を忘れずに〜

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2018.6.26 エッセイ

どうも、シバク・ドワレです。

昨日、仕事を終えて病院へ帰る途中に大阪モノレールとすれ違いました。報道によると、大阪北部地震で運行を停止していたのが再開されたのですが、部品落下の恐れのあるままに再開したのが判明して再度全線で運転見合わせしていたのです。

私はマイカーを利用して入退院や仕事をしていますので直接的影響は無かったのですが、やはり公共交通機関が運休していると不便な方がたくさんおられるでしょうから、早期の再開は何よりです。

実際に私も自動車を使わずに北摂方面へ向かうとき、よくお世話になっています。

あの時はみな、無我夢中だった

振り返ると、阪神淡路大震災の時も鉄道の寸断に苦しめられました。亡くなったり怪我を負われたり、家屋が倒壊した方からすると、そんなことくらいで愚痴を吐くな!と叱責されそうで当時は黙って耐えましたが、やはり相当不便でした。

当時私は神戸駅近くのスタジオに勤務しており、自宅は阪神地域の最北部にありました。

日頃は神戸電鉄というローカル私鉄に乗り1時間半程かけて通勤していたのですが、その鉄道もやられました。

大阪は被害が少なかったので、いち早く開通した阪急などを利用すると西宮北口まではほぼ通常運転しており苦労なく出られたのですが、そこからは阪急・JR・阪神共に神戸市灘区の高架崩落などでまったく機能しておらず、再開まで半年くらいかかった区間もありました。

西宮からは代行バスもあったのですが、そのバス停には長蛇の列があり、2時間待ちは当たり前。それならば、と歩いて向かうと会社まで4時間くらい、自宅を出てから5時間以上かかるのもざらでした。

朝6時くらいに家を出て、会社には昼前に到着。早めに上がらせてもらい、16時くらいに退社しても帰宅するのは21時を回っていました。

数ヶ月は頑張りましたが、やはりそんな勤務状態には無理があります。それが、私が現在へと続くフリーランスフォトグラファーになるきっかけとなったのです。

 

あれから、もう23年が経ちました。

喉元過ぎれば熱さを忘れるではありませんが、やはりその歳月は苦労を忘却の彼方へ追いやるには充分でした。

東日本大震災がありましたが、遠く大阪の地では対岸の火事と思っていたのも不謹慎ではありますが事実です。

その中で起こった今回の地震

5名の尊い生命の犠牲は、何千何万人も亡くなった震災と比べるものではありません。家族にとっては、かけがいの無い一人なんです。 一人でも犠牲者が出れば大震災です。

なんだ、この程度か。と思う人がいるとしたら、大きな間違いです。

地震の規模により報道に差が出て情報が少ないのは仕方ありません。

しかし、やはりライフラインが完全に復旧するまではせめて在阪のテレビ局だけでも、一定の時間に情報を流すべきでは無いでしょうか。

被災者にとって、命の心配が無くなれば終わりではなく、そこからが苦労の始まりなんです。

 

抗がん剤治療入院を始める日に大地震が起こり、少々昔の思い出が蘇ってナーバスになるこの頃です。

2018.6.26

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