連載:四年前のフルムーン旅3-1(初日〜ニ日目朝・大阪府〜北海道)/鉄道旅 〜B寝台よありがとう、もうあんな面白い旅はできないかも〜
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2015.6月の思い出
どうも、シバク・ドワレです。
先日少し触れた、四年前に気合を入れて計画・実行した駆け足の大阪基点北海道〜鹿児島日本縦断往復の旅。
これにはJRグループが国鉄時代のむか〜しから発売しているとくとくきっぷの一つ、フルムーングリーンパス(古くは上原謙と高峰三枝子がCMしていた)を購入し、JTBの新人窓口嬢をパニくらせるほどの綿密なプランを練り、事前に総ての指定券を取得して四泊五日で決行しました。
この企画きっぷは連続した5/7/12日間から選べるようになっており、そのうち最安の五日間コース2人用¥82800を買いました。その金額で五日間JR全線のグリーン車に夫婦で乗り放題なのですからかなりの破格ですが条件があり、夫婦合わせて88歳以上でないと購入できません。
私が51、妻が43の時でしたからその条件は余裕でクリアしていました。
当時の内容としてはJR全線の普通/快速/急行/特急列車及びのぞみ・みずほなど最速以外の新幹線のグリーン車・指定席と解放式B寝台を利用できますが、現在残っている唯一の夜行寝台列車である東京〜出雲市・高松間の特急サンライズ号はのびのび座席(カーペット仕様・指定席扱い)しか使えません。何故なら、その列車の寝台は総て個室であり非対応、グリーン車は非連結だからです。
つまり、もう今の時点で解放式B寝台を併結している定期列車はありませんので、その点では利用価値が減少しています。
私たちの利用当時は北海道新幹線が開通する前なのでかろうじて青森〜札幌間の寝台急行はまなす号が残っており、それのB寝台を利用する事ができました。
それでは、早速当時を振り返りましょう。
まずは旅程から。
初日
二日目
札幌ビジホ泊
三日目
四日目
別府→熊本(特急九州横断特急指定席)
鹿児島中央ビジホ泊
五日目
隼人→吉松(普通列車自由席)
吉松→人吉(特急しんぺい指定席)
人吉→熊本(SL人吉号指定席)
下へ続く
実際の旅の様子
自宅から新大阪駅まで民鉄と地下鉄を乗り継ぎ、金沢行きのサンダーバードに乗車。
始発の大阪駅から乗っても良かったのですが、新大阪の方が駅ナカのファーストフードが充実しており、そちらを選択。朝六時過ぎに家を出ていますので駅弁には早いけど朝食は必要。
日頃、通常価格ではグリーン車にはとても乗れませんのでこの旅最初のグリーンに興奮しますが、次第に慣れてきます。
このあたりは沿線風景も見慣れたところばかりですので、主に座席の具合などを楽しみ、早速酒に浸りました。
この旅を思い立ったのは、北陸新幹線の金沢〜長野間が開通したことも大きな理由です。
急ぐ用事なら東海道新幹線のぞみ号で直行しますし、金沢見物を兼ねていたとしても上京するなら最速のかがやき号に乗って東京へ向かうのでしょうが、初乗りとあって長野まで各駅停車のはくたかを選択し全駅の雰囲気を堪能しました。
金沢の駅ナカで駅弁と地酒を仕入れて、もちろん車内メシ。この雰囲気がたまりません。
こうやって簡単な記録にすると東京まであっという間ですが、東海道新幹線経由と違い大阪を朝出てすでに8時間くらい経っています。
しかし妻もまだまだ元気で、乗り鉄の素質十二分。
この夜は後出の夜行列車で夜を越しますので、早く青森に行っても仕方ないので東京見物をしました。原宿と東京駅ナカだけですが。
JRだけ乗る分には乗り放題ですから都内をウロウロしても別途運賃がかからないのがメリットですね。
夕方のはやぶさを取ってありましたので、余裕の乗り継ぎです。
青春18きっぷなら遠方に向かう場合、乗り換え時間がほとんどない場合がままありますのでそれが疲労蓄積に繋がりますが、さすがに高齢者向けきっぷ。
日本最速の320km/hを誇るはやぶさ号でしたが、宇都宮を離れる頃には車窓は漆黒になりましたので主に睡眠に充てました。
東北新幹線は青森駅は通りませんので、新青森駅から普通を挟み本州の果てまでやってきました。
新大阪がその代表格であるように、中心駅を通らないのは新幹線を先へ伸ばすには仕方ない対応なのですが、総ての新幹線が集中している東京駅と比すると不便さは否めません。
旧市街地の没落にもつながりませんが、元々の中心駅に通すとなると大迂回となりかなりのスピードダウンにつながり、航空機に完敗しますから仕方ないですね。
青森駅前で美味しいカレー牛乳ラーメンを食べて、いよいよこの旅最大の楽しみであった寝台列車はまなす号へ乗車。青函トンネル誕生とともに生まれた今は亡きこの名列車、幾多の青年たちの夢を運んだことでしょう。
解放B寝台は今の個室志向の若者には受け入れられないかもしれませんが、私が大学生の時初めて乗車した青森〜大阪間の寝台特急日本海では、20時間にも及ぶロングランのため寝台ではなくシートとして使用する区間もありましたので、新しい出会いもありました。
この雰囲気を味わうにはもはや大陸へ向かわなければ叶いません。
北海道へ上陸して電化区間が終わると、函館駅で電気機関車からディーゼル機関車への付け替えが行われます。この作業の見物がてらホームを散策しましたが、サービスで備え付けられている浴衣とスリッパで歩いたので車掌氏にたしなめらめました。
車内の一画に設けられているラウンジコーナーで休憩しましたが、妻は慣れない夜行と長時間乗車に少々お疲れモード。私はアドレナリン全開で、徹夜しました。
現在ではJR各社が競うように1人で30〜70万円ほどもする超高額のリゾート列車を走らせていますが、あくまでも企画商品であり移動に使うものではありません。もちろんその価格も、ぶらりと乗る列車旅には現実的では無いですね。
個人の価値観の問題ですが、たった二日か三日間の車内では一生に一度の夢とは思えません。
このはまなす号のように思い立ったら気楽にとび乗れる寝台列車の各地での復活を願って止みません。 夜行バスよりは数段疲れませんから。
次号へつづく
2019.1.19記
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