三日月/私小説 〜優しさの中にも鋭く見下ろしてくれた〜
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2019.2.8 私小説 掌編
どうも、シバク・ドワレです。
先ほど、月があまりに妖艶だったので、妻を想いながら私小説を書き下ろしました。
ー三日月ー
「そっちからは月は見えるん?」
妻がチャットアプリで訊いてくる。
「よう見えてるで。細いけどなぁ」
もうこの病棟にて入院治療を始めてから、まる三年が経過した。
当初は要らぬ世間話など治療の妨げとばかりに、必要事項の伝達しかしなかった私だが、今ではナースのほとんどが友達のようである。
「おいちゃんは良いよなぁ。いつも話し相手がたくさん居て」
妻はその話をすると、少し不機嫌になる。
何も男女関係に嫉妬の炎を燃やしているのではない。
本当に彼女は、私の入院中は暗く寂しい夜を独りきりで過ごしているのだ。
「今度の長旅は、北陸にまた行こう。大好きな白えびを食べて、烏賊の黒作りで呑もうかな」
「おいちゃんの好物ばかりやん。ウチは飲めんのに」
他愛もない会話の中にこそ真実が隠れているものだが、私の性分はそんなものだから仕方がない。
代わりに、妻には能登牛のステーキでも車内で振る舞うか。
この大腸がん肺転移を、肝臓転移を経て再発してから、今の旅ぐるまをこしらえた。
半分は旅のため、半分は闘病中の安らぎのため。
もちろん、病棟の廊下からもそのキャンピングカーを見下ろせる。
入退院も長く続けると、何かに依存するか楽しみを見出さないと、とても持たない。
「〇〇さん!先生呼んで。508があかんわ」
また、ナースが忙しそうだが、その様子に慌てた気配は感じない。
このがん病棟では、月に何人もの患者が、永く、時には入院して直ぐの闘いを静かに終えて行く。
ベッドの固定を解除して、廊下に車輪の音が響くのは何度聴いても心地良いものではない。
時には、私の横の大先輩が夜明け前に息を引き取った事もある。
交通事故や脳心臓疾患ならICUにて最期を迎えるのだろうが、がんの死は唐突に訪れる。
それでも、私はその隣の方の死に際し、畏怖の念は無く尊厳を感じる。
みな、闘いに疲れた戦士なのだ。
「おいちゃん、寒いよう」
「今日から連休の終わり頃まで寒いらしいで。三寒四温や」
妻は節約意識で、寒暖差アレルギーがあるのにガスファンヒーターを付けない時もある。
私の肌のぬくもりの代わりに、せめてガスの青い炎に暖めてもらうがいい。
昨日の朝まで、起きると39度ほどの熱が私を苦しめた。
関節の痛みは無く、咳も酷くは無い。
ドクターはインフル検査の代わりにX線検査を私に命じ、結果、肺炎が少し疑われた。
「今度の外泊は無理かもしれんなあ。風邪も流行ってることやし」
「ウチは、野菜とかたくさん買ったから一人で留守番してるよ」
本当は寂しさのあまり胸が押しつぶされそうなくせに、殊勝に強がってみせる。
妻のこの強さはどこから来るのか。
もちろん、そのパワーのおかげで私が闘いに勝ち続けているのだ。
しかし、その神通力とて無尽蔵ではない。
「今日はな、海老入りの茶碗蒸しするねん」
そんな安価なご馳走なら、いくらでも好きなだけ造れば良い。
私はこの八日間、リンゴとパイしか食べておらず、それさえも口にできない日があったため、必須アミノ酸と生理食塩水の静注を受ける身だ。
私の分まで、存分に食べて長生きして欲しい。
しかし、今朝から体温も36度半ばで落ち着いて、予定通りの化学療法を受ける事ができた。
そののち、病棟廊下端の展望スペースに設置してあるマッサージチェアにて凝りをほぐす余裕も生まれた。
明日はどんな1日なのだろう。
妻の元へは、いつ逢いに行けるのだろう。
またひと月もふた月も帰ることは叶わないのだろうか。
そんな私に、武将の弓の如く切れ上がった鋭い月が、杞憂だと優しく微笑んでくれた。
2019.2.8
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