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私小説/月の湊  〜旅の思い出〜

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2016.10.9 私小説

どうも、acsekitoriです。

今年の春に能登を放浪した時の記録です。

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掌編 月の湊

 

「なあ」と私。
「なに?」と妻。
「なんでもない」

いつものように呼びかけるだけでからかう私に、プイと横を向いた妻。

でも、なんとなくうれしそうな車内ベッドの上。

 

北陸の港町七尾に停泊させてある、この手で作り上げた世界で一台だけの走る別荘。

そこにいるだけで幸せな狭い車内。

手を伸ばさずともひっついていられるのに、あえて離れてみる。

途端に不機嫌になり首筋を突っついてくる、仔猫のような彼女。

 

「今度は海が良い?山が良い?」
「答えてもいつも隊長が行きたいほうに行くやん」
「そんなことないやろ。いつもおまえが楽しめるように舵取りをしてるつもりやで」

じゃれあいながら横のカーテンを開くと、防波堤に緑のランプが瞬いており、その下には漁船たちが休んでいる。

仕掛けを磨く漁師たちはとっくに家へ帰っており、無人の漁船たちが小波に揺れて囁きあっているようだ。

今日の漁獲はいかがだったのか。

漁師たちは明日の大漁を夢見て、今頃は晩酌の手をおいて床の中だろう。

 

ちょうど雲が切れて、兎がはっきりと見える満月が顔を出した。

雨が続き三日ぶりにムーンルーフを開けると、まだ霧が立ち込める中、月明かりがぼんやりと妻を青白く染める。

幻想的なその頬を見ていると、思わず酒が進んでしまう。

今宵で何日目なんだろう、北の国を彷徨うのは。

行き先を決めない、ふたりだけのさすらい旅。

気が向いたら歩みを止め、呑みたいときに銘酒を呑み、食べたい肴を喰らう。

 

ここへ着くとすぐに買出しに出かけた。

煌々と輝くランプの下、ずらり並んだ市場の新鮮な魚たち。

大阪には無い肌のテカリと、手に取った刹那弾けるような肉の厚みに、思わず予算を突破してしまう。

また明日の昼は即席麺か。

スーパーマーケットよりも、濡れた地面に気を遣いながら店主の呼びかけに応えられる市場が良い。

氷の上に寝かされた丸一匹の魚たちの姿を見ると、骨以外残す気になどなるものか。

 

再び沖に目を転じると、遥か能登島のとなりをイカ釣り船が北東へゆっくりと歩を進めている。

沖合には無数の漁火。

まだホタルイカはたくさん採れているのだろうか。

 

「明日は快晴やで」
「そうなん?なんでわかるん?」
「おれがそう思うから」
「ふ〜ん」

他愛も無い会話。

このなんでもないルーティーンが、私の生命力の根源になっているのは間違いない。

 

一人で寝ていた長い夜。

その苦悩と悶絶から解き放たれた私は、世界のどんな高峰を制したアルピニストよりも幸福に違いない。

妻という最高峰を仕留めた今の私には、かつて目指していたものを狙うための、いかなる賞賛の言葉も叱咤激励も必要ないのだ。

 

がんと再婚

もう、運命の告知から十年目を迎えた。

大腸から二度目の転移を乗り越え、動きが止まっている腹部大動脈周囲リンパ節の悪性腫瘍。

止めているのは、もちろん化学薬品などではなく、妻の魔法だ。

降臨した女神なので、魔法ではなく神通力か。

ともあれ、彼女がいなければとっくに浄土の山を登っていただろう。

この世に定めがあるならば、ただ従うのみ。

この至福を享楽できるのもまた、定められた運命なのだから。

 

一人きりで突然目の前に現れ、一切関わる人を私に見せない妻。

もしかしたら、本当に降臨してくれたのかもしれない。

歩く方向を見失い、この世に奇跡など無い、と冷めかけていた私。

しかし、現実は物語を凌駕していた。

道しるべもないまま歩き出したふたり。

でも、もう迷わない。

迷いそうなら、わかるところまで引き返せば良いのだから。

 

彼女のちいさな手を握る。

背中まで下ろした、柔らかい髪を撫でる。

私の左腕に彼女の頬を乗せ、肩を引き寄せてやる。

赤子のように幸せな顔の妻。

それ以上に幸せな私。

柔肌に触れるたびに精神に力がみなぎってゆく。

生きるってなんだろう。

その答えがここにあるような気がする。

 

我らのしとねを照らす十五番目の月は、頂点へ動いていた。

起き直して、とっておきの地酒を半分注いだぐい飲みに映してみる。

酔っ払って震える小々波にも負けない力強い満月。

その太古からのパワーを、一息で飲み干した。

釣り師たちはクルマを離れて防波堤にたむろしている。

 

ここはふたりだけの別荘地。

地の魚を一切れ、妻の口に入れてやる。

醤油を嫌う彼女、きっとその新鮮さを実感できるだろう。

むしろ、アルコールで痺れた私の舌をくぐるより、魚も幸せに違いない。

 

「これ、なんてサカナ?」
「知らん」
「隊長でも知らんサカナがあるんや」
「美味しいからなんでもええやん」

 

もうルーフを開け放すには寒くなり、夜露が降りてきた。

おまえと一緒ならなんでも旨い、と言う代わりにシュラフをそっと掛けてやった。

 

2016.4.22の日記より

 

 

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