禁欲II(セカンド)/闘病記 〜天井を友とすると、更なる高みが恋しくなり〜
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2017.10.17 エッセイ
どうも、シバク・ドワレです。
先日の記事で、私の煩悩欲を羅列しました。入院により、実行できない事へのフラストレーションを発散する意味合いです。その中に、私のライフワークとも言える登山を敢えて入れませんでした。
それは、ちょっと他の即物的欲求とは異なっているからです。
もう、本格的登山を中断して何年経つでしょう。
この画像の、木曽の御嶽山に山岳部の先輩とともに登頂したのが2014年5月ですから、もう約3年半登ってませんね。この時はGW前ですからまだまだ残雪たっぷりで、アイゼンとピッケル、そして滑落に備えてクライミングヘルメットもかぶっています。
あの忌まわしき大噴火の4ヶ月前の事です。私たちが巻き込まれていてもおかしく無い地中の状況だったでしょう。亡くなられた方に、謹んでお悔やみ申し上げます。
御嶽にも一緒に登った高校山岳部のN先輩。
それよりも2年前、私が離婚した後に肝転移が見つかり手術と抗がん剤治療をして意気消沈していた時に、
「ヒマがあるなら富士山へ登ろう!」
と誘ってくれた、ある意味命の恩人です。そのまま山へも登らず、手放してしまっていたオートバイや四輪にも乗っていなかったら、私の精神状態はどうなっていたか判りません。過大なストレスはがん進行に直結しますので、もう成仏してたかもしれませんね。
オペ明けからの富嶽登頂はなかなかキツイものがありましたが、数回の低山トレーニングにも同行してもらい、無事成功しました。
感謝の意味を込めて、その後先輩のご自宅から徒歩2分のところに引っ越して、いつでも飲みに来ていただけるホームバーをオープンしました。
本命の山、剱岳
富士山で気を良くした私は、続けざまに初秋の剱岳登頂を目論みました。
そのルートの難易度とアプローチの長さから、日帰りするわけにはいきません。当時休業中だった私は、とても山小屋連泊などする経済的余裕もありませんでした。
なら、どうするか?
テントを担いだのです。多少無謀ではありましたが、単独で立山室堂より雷鳥平まで装備と1週間ほどの食糧をボッカして、私にとってのヒマラヤ並の登山へ挑戦しました。
結果、血圧と気圧とのバランス、もし滑落して出血したら血小板不足により止血できない危惧と闘いながらも、無事に登頂を果たしました。筋力不足により14時間も掛けて一般ルートとしては最難関のコースで怪我もせず帰ってこれたのです。
ついでに休養を挟んだ翌々日に、立山三山も縦走して、初秋の北アルプスの稜線を漫歩しました。トップ画像は真砂岳頂上で山ガールに撮ってもらったショットです。
もちろんこれらは結果オーライのラッキーなだけの話であり、登頂失敗はともかく、遭難でもしていたらその体調と準備不足を激しく叱責されたでしょう。
しかし、それでも行って良かったと自己満足しています。
現在でも、その富士と劔の頂上が心の礎となっていますから。
しかし、その後に腹部大動脈周囲リンパ節に転移が見つかり、そして更に肺にも転移が発見されました。こうなると、肝転移の時のようにオペはできませんし、抗がん剤治療も術後補助化学療法では無く永年持続治療になります。
その結果、骨髄抑制が進んで血液の代謝が悪くなり、感染症と出血を伴う怪我がタブーになりました。オートバイなら、余程の山奥で無い限り救急車が来てくれます。しかし山中ではそうは行きません。
スマホが登場以来、地形図やコンパスを持たずに気楽に登山をして、道迷いで県警などの公共ヘリを要請するハイカーが後を絶たないと聞き及びますが、言語道断です。私が新人の頃は体力トレーニングと並行して読図の徹底訓練をしましたが、おそらく地形図を見た事も無い人たちが多いのでしょう。
比べられたくは無いですが、今の私が登山をするのは、それらのお気楽登山と同じ扱いになるのかもしれません。ですので、欲望は高まるばかりですが、眺めて楽しむのみにしているのです。
おそらく、これが私の本当の禁欲ですね。
他の事はドクターやナース、親族の目を盗んで楽しんでいますから。
そんなに盗んでも、目は二つしかありませんがね。
2017.10.19
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