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私のスキー遍歴/スキー 〜高い山から滑り降り、振り返ればそこに青春があった〜

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モンブラン周辺地形図(借用)

2019.1.12 スキーの思い出

どうも、シバク・ドワレです。

2年ぶりのスキーに備えて気分を高めるために、過去のスキー歴を記録します。自慢のように取られるかもしれませんが、自慢です。

うそうそ、もう風化して忘れてしまいそうなんで、備忘録ですよ。見る人が見ればなんの自慢にもならない、たんなる遊びのスキー記録ですわ。

 

私のスキーデビューは比較的遅く、大学山岳部に入部してからです。高校山岳部は目指せヒマラヤのスポーツアルピニズムを標榜していましたので、冬は雪山登山オンリーでスキーはせず。

それが大学になると、より本格的に冬の北アルプスなどへ入山するにあたり途中までスキーを担いでおいて、下山時に滑ったりしました。

このように自分達の装備や食糧をある場所に置いておく事を、「デポする」と言います。6年前に剱岳に登った時は岩稜の往復でしたのでピッケルは持たず、トレッキングポールを2本携えましたが、切り立った岩登りが始まると背中のザックに差しておいたのでは岩に引っかかって危険なので、あるポイントの岩陰に隠しておきました。

その事を「ポールをデポした」とのように使います。

 

さて、19歳で始めたスキー。

そのあまりの爽快感に、一発で虜になりました。

最初の経験はスキースクールなどではなく、滋賀県びわこバレイスキー場に高校山岳部の先輩に連れられて、テント泊で行きました。

当然、下級生である私の背中には約30kgの荷物。

先輩は5期上の年長者ですので、私は使いっ走りもよいとこです。覚えてはります?一期生のSさん。

 

で、びわこバレイの駐車場は山の麓にあり、標高の低いその辺りではまだまだ積雪はありませんから比良山系の山の上までゴンドラ(当時はカーレーターだったかも)で登って行き、山上ゲレンデになっています。

山上駅はちょっとしたピークになっており、幕営地点はゲレンデの下部にありますので、いきなり滑って降りなくてはなりません。先輩たちは颯爽と身軽に滑って行きました。

私に、

「適当に滑ってついてこいよ」

との文言を残して。

 

適当にって言われても、どうすれば良いかは事前学習で頭に入れてきただけ。しかも、背中には30kgです。

とりあえず足をハの字にして恐る恐る滑り出すと、初心者ゲレンデの緩斜面ですからなんとかトロトロっと進んで行きました。逆に背中の重たい荷物が幸いして、バランスをスキーの中心に保たないと重さに負けますから安定して滑れたのかもしれません。

そこまで先輩が深読みしていたのかどうかは、今となっては霧の中ですが。

下へ続く

ちょっとは滑れるようになると

こうして、山スキーっぽい荒々しいやり方でスキーを覚えた私。

そのあと、大学では主に白馬岳から五竜岳へと連なる後立山連峰山麓岩岳栂池高原/八方尾根/五竜遠見をホームゲレンデとしていました。

特に、大学の大先輩である0B会のT理事長(初代監督)が岩岳の近くで会員制ロッジを経営されていましたので、その庭に2DKの超大型雪洞を掘って居候し、岩岳では本当によく滑りました。

 

そして、数少ない本格的山スキー、今で言う所のBC(バックカントリー)は、卒業して直ぐに就職もせずに行ったヨーロッパアルプスでのモンテローザ(最高点4634m)の約4500m地点からの氷河スキー。

残念ながらその地点までは登はんしたのではなく、ヘリコプターで上げてもらいました。初めてのヘリと初めての高所スキー。

いっしょに行った仲間には高山病でフラフラになる者もいましたが、私は元気満々で楽しく滑り終えました。高山病は体質に依るところ大で、その10年後のモンブラン本峰登頂時も、息こそ喘ぎましたが頭痛や吐き気は皆無でした。

 

その最初のヨーロッパ遠征時には、別の日にモンブランの前衛峰であるエギーユ・デュ・ミディ(3777m)の直下から長さ約20kmに渡り広がる長大なバレ・ブランシュ氷河も滑りました。このミディ山頂まではロープウェイが通じており、手軽に氷河スキーが楽しめます。

但し麓にある電車の駅まで1日がかりで滑り降り、途中でハイクアップ(登り)もありますので体力は必要ですし、第1級の氷河ですから至るところにクレバスがあり、ガイドを雇った方が安全なのは言うまでもありません。

このミディ山頂は登山やスキーをしない日本人観光客にも人気があります。ハイヒールでも行けますからね。但し日本人高齢者の特徴として、ロープウェイから下車すると我先に階段を駆け上がり、高山病で倒れる人もよく見る光景です。

スキー以外にもミディ南壁のコスミック岩稜の岩登りをしたり、楽しく初めての訪欧を終えました。

 

そのヨーロッパ山行から帰国した私。

仕事もせず、大学山岳部後輩たちの春の新人合宿を槍ヶ岳で行うと言うので、喜んでOB参加しました。

この時はショートスキーを担いで上り、5月ですから槍ヶ岳の肩、槍ヶ岳山荘からたっぷりとある残雪の飛騨沢を、平日で無人ですので思う存分に端から端まで自由に使ってロングターンで滑り降りました。

 

この年は就職もしていなかったのでカメラマンの修行などをしながら、冬はシーズンまるごと先ほどの大先輩のロッジに居候させていただきました。

朝や夕はお客さんの食事の世話をして、昼間は掃除機などを済ませると先輩の年券(スキーリフトシーズン券)を借用して毎日毎日滑りまくりました。

この時の滑り込みで、ようやくゲレンデのどんな斜面でも滑ることができるようになったのでしょう。

このいそうろうは、私のブログを愛読してくれているMちゃん姉妹(別の大先輩のご令嬢)たちと仲良くスタッフをした、楽しき思い出です。そのMちゃんも今では良き母、妻です。なあ、おMちゃん!!

 

その後、カメラマンとして生涯に渡る仕事を始めたのですが、しばらくはサラリーマンカメラマン時代が続きます。その中のいっときだけ、スポーツ用品の卸会社の営業として働いた時期がありました。山用品やスキーも扱っていましたので、私は経験を活かしてそのジャンルで楽しく働きました。

 

その時に、同僚たちと訪れたのが6月の中央アルプス剣岳

ロープウェイで千畳敷まで登り、そこから雪渓を延々と頂上直下までハイクアップ。登山靴にアイゼンではなくてスキーブーツでエッジを効かせながら急斜面を登りましたので、転倒したらただでは済まなかったでしょうね。若気の至りです。

その時は130cmの氷河用スキーで、90度にも思えるかなりの急斜面をショートターンの連続、時にはエッジでブレーキをかけての横滑りで一気に滑り降りました。実際、いちばんきついところでは40度を超えていたと思います。

 

槍ヶ岳・宝剣岳の両方とも天気は最高で、山スキーの楽しさを満喫できたのですが、ハマってしまうことなくその後はゲレンデばかり滑っています。

スキーには、SAJ(日本スキー連盟)が行う5〜1級や準指導員・指導員などのバッジ検定及びクラウンやテクニカルなどのプライズ検定があります。

昔の話で今は検定内容などが随分変わってしまったでしょうが、20代の頃、スキー仲間にそのどちらも頂点のバッジ保有者(指導員)がおり、徹底的にゲレンデスキー(基礎スキー)を練習することができました。

その彼に当時の1級合格は保証してもらえたのですが、結局受験しないまま現在に至ります。

どうも私は型にはまり規制された滑りよりも、形はむちゃくちゃでも自由に誰もいないところを滑る方が気性に合っているようです。

 

さあ、年寄りの昔話もここまで。

体育会系で1日に3〜40本はロングコースを滑っていたのも今は昔。

治療での入院日数が増えたので仕事でのゲレンデ滞在も断ってしなくなったいま、今後は妻の雪遊びも兼ねてのんびりと1日に数本だけ滑り、くれぐれも出血を伴う事故は起こさないように留意します。

治療も遊びも楽しくしないとね!

2019.1.12

 

 

ご閲覧ありがとうございました。よろしければ他の記事も覗いて行ってくださいね。

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