スポンサーリンク

延命治療とは、及び麻薬服用の現状/闘病記 〜あきらめることなく11年、ここまできたらとことんやったれ〜

スポンサーリンク

f:id:acsekitori:20191007204123j:image

2019.10.11 闘病記

どうも、シバク・ドワレです。


昨日は、入院してから四度目のケモでした。これで2クール終わったことになります。副作用はキツくなく、穏やかな1日。

今日は3ヶ月に一度の、フォローCTを撮影される日です。なかなか忙しい。

昨夜はやたらと身体の一部がブドウ糖を欲しがるので不二家ミルキーなどをバクバク喰って、満足しました。がん細胞はブドウ糖を主なエサとして成長しますので、肺に散らばるガン子ちゃんをおびき出して写りやすいように、ミルキーは撒き餌作戦も兼ねています。根こそぎ一網打尽や!

妻にそれを告げたら、

「普通そんな発想せんやろ」

と褒めてもらいました。しますよね?

 

蛇足ながら真面目な事も追記すると、ブドウ糖を点滴してがん細胞をピンク色に染めて画像に写し出すのはPET-CTであり、私が定期的に受ける単純CTには無関係です。誤解なきよう。

 

今回の入院から医療用麻薬を使い出しましたが、それを昨日から1段階進めて、朝晩の定期服用に変える試験運用を申し出て、了承されました。

それをすると転倒して頭を強打したり、寝たきりになる患者を散見していましたから躊躇もありましたが、幸いに今のところその兆候はありません。

入院中にできるだけのテストを繰り返さないと、退院して在宅時にいきなり強い薬を服用すると、副作用に即応できませんので果敢にチャレンジしています。


本当は存在などしないのに、目の前にあると思い込んでいる不可視な電気バリア。手が触れるとピリッと感じる恐怖から何も事を遂行せずに、既存の状態を死守する。それを思い切って飛び込み打ち破らない事には、末期がんの治療は進みません。

わたしは事なかれ主義が世の中で最も嫌いな思想です。巷に溢れる妄言や固定観念を打ち破り、伝説を作ってみせます。

その信念からすれば、既製品同様のキャンピングカーを自作するなど屁の河童です。

なんのこっちゃ。

 

いまさらですが、西洋医学の治療を大きく分けると、

1.積極的治療

2.緩和治療

3.延命治療

などが出てきます。

これ以外にも分類はあるでしょうが、私がいま行っている治療は、以上の三つのうち、2と3です。

1と3は複雑に絡んでくるのですが、積極的治療とは、例えばがんに対しては、手術/放射線/化学療法の三大標準治療が挙げられます。

このうち私の進行性転移再発大腸がんには、既に手術と放射線は適応外なので除外。定期的に抗がん剤治療を行っていますが、それは3の延命治療なのです。

 

11年前に大腸の横行結腸に原発巣が見つかり、それをオペにて取り去った後に肝臓と腹部大動脈周囲のリンパ節転移を経て肺に転移。

腹部リンパ節に転移が判ったときには、約2年で抗がん剤の効果が無くなり死亡する可能性があると告げられましたが、できるだけそれ以上生きられるような標準治療を選択しました。

それが、いわゆる延命治療です。

もうその2年のリミットはとっくに超えて、5年と3ヶ月延命できていますから、ラッキーなほうなのでしょう。先程ブログの横にある自分のプロフィールを見て気付いたのですが、肺に転移再再再発してから来月で丸3年みたいです。しぶといですなぁ。

こないだ気分転換に設定をイジりました。今までのブログ画面ではサイドバーが無くてプロフは一番下にあり、自分でそんなん読むわけないからスッカリ忘れてましたわ。

と、他人事の如き能天気さ満開。

 

私はアスリート並みの基礎体力・持久力を保持してきた自負はありますが、それだけでは悪性腫瘍に勝つことはできません。

いくら筋肉を鍛えても、がんの増殖は止められないのです。ですので私の治療も、がんに打ち勝って無くすのが目標ではなく、とりあえずおとなしくしてもらうための治療です。

良くて現状維持、悪いと効かなくて副作用だけに苦しむかもしれない。

が、やらないと死への坂を転がるのは見えていますから、やらなしゃあない。

 

よく聞くのは、抗がん剤など苦しいだけ、薬品メーカーや医者が儲かるだけのカラクリだからそんな治療を受けるやつはアホや!との妄言。

そんな発想をする人は、古墳時代から頭が進歩していないのでしょうか。

卑弥呼にお祈りしてもらい、がんを治すつもりなのでしょうか。

下へ続く

お祈りとおまじないでは治らない


f:id:acsekitori:20191007204136j:image

しかしそこに、体力以外の何らかの生命力が作用しているのは事実でしょう。

宗教家なら、それは神や仏の御力となるのでしょうが、正月くらいしか寺社仏閣を参らない私にそのご利益が強烈に届いているとは思えません。

私はその生命力を、「生きがいの存在」と解釈しています。

生きがい、イコール生きるための精神力。

私にとっては、体の弱い妻を守る事や様々な趣味がそれに該当します。

 

諦めたら、一気に病魔は身体中を蝕むでしょう。他人の妄言には耳を貸さず、ただひたすら己れの信じた治療に邁進する。

これ自体が一つの宗教なのかもしれませんね。

自分教。

が、それで一定の成果、エビデンスを得ているのですから、私は満足しています。西洋医学なのですから、客観的に証拠を求め、現状に即した対症療法を行うことで、データ上では死んでいる時期から三年少し生き存えているのですから、誰にも文句は言わせません。

私自身が、がん治療にとって一つの伝説になりつつあるのですから。

 

と、熱くまくし立てたところで、あと半年も持たないかもしれませんし、あと30年も憎まれっ子世に憚るかもしれません。そればかりは、やってみないと判らない。

苦しくても、できることをやる。

逃げたくても負けず嫌いを発揮して、逃げずに、望みがある限り徹底的に追求する。

 

こんな性格で良かったと思っています。

2019.10.11

 

ご閲覧ありがとうございました。よろしければ他の記事も覗いて行ってくださいね。 自作キャンピングカーと大型オートバイを中心に、夫婦での旅記録が主な内容です。

スポンサーリンク

スポンサーリンク