スポンサーリンク

生きるという事

始めにお断り
ブログ主が死去したにも関わらず、妻が勝手に更新する事に対して自分のブログを立ち上げて書けばいいだろう!と不満のある方はここでお引き返し下さい。
前回はドワレ死去に関してのご報告でしたが、今回はドワレ死後に心無い行いをした人に対して思うところがあり書かせていただきました。ーーードワレ妻よりーーー

 

いつの頃からかイジメっ子の正体が分かり難い時代になり、イジメ方も陰湿になってしまいました。
昔はイジメられれば転校したり不登校になりさえすればイジメから逃げる事ができ、自分の周りの環境をリセットできる可能性があった事から「高校デビュー」「大学デビュー」なんて言葉があったものです。

しかし今はイジメっ子が現場の映像をネットにアップし、イジメられた子が人生をリスタートできないよう一生消えない闇を解き放ちます。

イジメっ子も近頃では個人情報がネット上にアップされ無傷ではいられない時代になっていますが、それでもイジメや誹謗中傷は止みません。

日本は「アベレージ的感覚」が求められるせいか、少しでも違った能力や考え方をすると攻撃される事が多くイジメや誹謗中傷が止まないのかも知れませんね。

昭和が終わって30年以上経った今でもイジメはなくならず、リスタートする事もできないまま癒えない傷を抱えている人が本当の意味で手を差し伸べられる事もなく悲しき日々を重ねています。

何となくな理由でイジメをしている人

自分に落ち度がないのにイジメられる理由を探し続けている人

どちらも不幸である事に早く気づいて欲しい

毎日学校の門をくぐれていますか?
病や障害があっても学校の門をくぐり多くの仲間に囲まれている事を幸せと気付いて欲しい。
様々な事を吸収し未来への可能性に溢れている素晴らしい時期にわざわざ闇を纏わないで欲しい。

自死を選んだ人に対して攻撃をしてはいけないし肯定をしてもいけない。
苦しく耐え難い人生を生きて来た人と自死を選んだ人との差は何なのか?

今生きている人に考えて欲しい。
自分が行っている行動の先に何があるのかを

末期ガンであるドワレが抗がん剤治療を受けながら仕事に趣味にと飛び回っている事に対して

末期ガン患者は自宅で大人しくして、介護してくれる人間に媚びへつらって死んで行けばいいと平気で言って来た悪魔がいた

まるで野生動物のように死期を悟ったら一人で孤独に死ねと、自分が

病に陥った時、自分のパートナーが病に陥った時にもそうするし他人に迷惑をかけるべきではないと言った悪魔。

ドワレはそのような言葉に気落ちするような弱い人間ではなかった。
しかし、抗がん剤の副作用で検査データ的に最悪である人間に対して吐く言葉ではないと思うし、平常心でいろというのも無理な話し。

その悪魔は影でそのような事を言っておきながら周囲の人間にはガンでおかしくなったんじゃない?一人で怒って絶縁して来たという話しにすり替えている。

今更その悪魔や悪魔の周囲の人間に対してとやかく言う事はない。
二度と会わないし、会う事も無い。
ただ死んだ後にワクテカで近寄って来た時には「殺されたいのかコイツは」と思った。
いつもニコニコする事しかできない妻が悲しみ打ちひしがれている姿を期待している悪魔。

残念ながら私は「お育ちのいいお嬢さん」では無い。
悪魔が期待している状態と私の現状は程遠い状況であると伝えておこう。

私が怒り出す前にドワレが絶縁したから悪魔にとって私はドワレの横で置物のようにニコニコ笑っているだけの妻で終わっているだけの話し。

f:id:acsekitori:20200724204428j:image

(kuma-yomeがそっくり!と言われているアプリゲームのキャラクター現在配信終了)

何年もの長い間、辛い抗がん剤治療に耐えて全ての事に関して全力で生きて散ったドワレ。
生きて出る事の出来なかった病室内で、私と担当医のやり取りを聞いて奇跡は無く本当にこれで終わりなのだと悟っていただろう

私には呂律の回らない口で「個室代要らんように言ったから、初日は本人が納得したからしゃあない」とだけ言っていた。
私がいない時には面会に来た人に「いつもと違う環境やから心配や」と何度も言っていたと言う。

二人っきりで部屋にいる時は何も言わず、私が看護婦さんに少しでも質問しようものなら「要らん事いうな」と怒っていた。

奇跡なんて本当はない

「俺の5年後の生存率は15%や」「しょ〜もない事でイライラさせんといてくれ!時間が勿体ない」と出会ったばかりの頃、私に言ったのをドワレが覚えているのか今はわからない。

「再発ですね」と診察室で言われた時、再発がわかった直後に「籍を入れよう」と言われた時私の頭は平常心だった。

未熟児で生まれ、子供の頃からずっと体が弱かった私は結婚も出産も無理だと医師から言われていたが、結果的には二度も結婚し最初の結婚では子供も出産した。

出産後数日で死ぬかもしれない子を産み、10年以上もの間出産した病院へ検診に通う日々。
その子もなんとか成人し、結婚して子供ができた。
医学の進歩とはそういったものだ。

現状がどうであるかではなく今後どうなるかが大事。

私の周囲にも結婚後パートナーが病になって満足に日常生活ができなくなったからと「騙された」「ハズレくじ引いた」的な言葉を平然と口にする者がいた。
そのパートナーには何の落ち度もないにも関わらず。

私も私の子も生まれた時や子供時代では将来に希望を持っては行けないと言われる状況だった。
それでも次の命を繋いでいる。

そこへたどり着くまでの人生が平坦であった訳ではない。

悲しみや不幸から自死を選んだ人と自分との差は単に縁が無かったから

としか言いようがない。

以前「シゴフミ」というアニメで、自殺をした高校生の親が嘆き悲しみ、同級生を教室へ閉じ込め問い詰めている時、手紙が死者から届き「何となく飛べると思ったら飛べた」と言ったような内容が書かれていた話があった。
自死を選んだ人の中にはそう言う人も一部いるのかもしれない。

しかし、こんなにも不幸が続くのなら死にたいとか気が変になったら楽なのにと思う人がいたとしても成し遂げる事は難しい。

自死を選ばなかったからといってその人が幸せとは限らないし、苦労を知らないわけではない。
そういった事は他人に自慢して回ることでもないから知らせなくてもいいだけの事。

 

最期の病室で「うに〜」「いくら〜」「チャイ〜」と苦しい息の中、周囲を呆れさせる程の食欲があり、キャラバンのリフォームも終わっていないと言っていたドワレ。

 

f:id:acsekitori:20200416085845j:plain

本人データより(夢にまで見たウニとイクラ。いつも独り占めできるのが嬉しそうだった)

誤嚥で死ぬ恐れがあるからと水を飲む事ができなくなった時口を湿らせる為のスポンジをくわえて離そうとしなかったドワレ。

あまりの力に看護婦さんが困っていたので「誤嚥で死にたくないやろ?」と聞くと「誤嚥嫌や〜」と言って口を開けていた姿に生に対しての執着を見た。

実父の事を「まだ生きる事ができたのに誤嚥で死んだ」と憤っていたので、ドワレにしては珍しく素直に従ってくれたのだろう。

しかし、大学の先輩が「退院したら車椅子押したるから延期してた宴会しよう」と言った時「車椅子嫌や〜」と言っていたので車中泊とか好きな事我慢してたら死んでまうわと普段から言っていた事は、脳内出血があろうが感染症に侵されモルヒネが投与されようが変わらない。

ドワレの悪魔に対してだけでなく、世の思いやりがない人に言いたい。
不幸だったり、苦労をしたりしたのは自分だけではない。
人それぞれ不幸や苦労があり、他人から見てくだらない事であってもその人にとっては死ぬ程辛い出来事もある。
そして、毎日笑顔で穏やかに過ごしていたとしてもその人が不幸知らずではないと言う事。
f:id:acsekitori:20200724214309j:image

(ドワレデータより 上高地を歩く後ろ姿 この時の靴は現在妻が使用中)

ドワレはよく「ワガママ」だと言われる。
独特の話術と気遣いで相手を自分のペースに巻き込んで「ワガママ」な振る舞いを周囲に認めさせていた。

最期の最期まで私には殆ど弱音を吐かず、自分らしさを貫いたドワレ。
私はドワレの死後、目を背けていたドワレへの不満や怒りとも向き合ってきた。
山のように積まれた二部屋分のガラクタとも闘って自分の背丈よりも大きい家具から小物まで様々な家具を解体し、ドワレに負けず劣らずのケチっぷりを発揮している。

生前ドワレが言っていた事を少しでも多く叶えたいと思うが、それは綺麗事ではなく自然な気持ちからである。

たった五年しか戸籍上夫婦では無かったが、それが夫婦のあるべき姿なのだと思う。

住むところすら決まらぬ現状で、毎日泣き暮らして無駄にお金や時間を浪費する事をドワレは望んでいないし、そんな妻を求めてはい無いだろう。

ガンが再発しようと、次々と転移しようと平常心でドワレのしたい事を止めず怒らずついて行く。
食べる気持ちがあるのに食事量が極端に減り、落ち込んでいる姿に「同世代の人見てみ?それくらいしか食べれてないで」と客観的に伝え、食べては吐く姿を見ても動揺しなかったが、仰向けで口を押さえて嘔吐感をこらえている姿には「死ぬで!」と怒鳴りつけたりもした。
倒れる1、2日前だったので正常な判断ができなかったのか「ホンマやな」と言って洗面所へ歩いて行った後ろ姿。

数年前、ガンが全く大きくなっていないのはガン細胞が死んでいるのかそれとも大きくなれていないだけで生きているガン細胞なのか?と判断がつかない状況の中、抗がん剤を辞めるかどうか医師に問われた時「抗がん剤で苦しいのも辞めて死んでまうのも自分やから自分で決めたら?」と言った時、他人からすればなんと冷たい嫁と思われたかも知れないが自分の生死をかけたギャンブルに他人がとやかく言うべきではないと思ったからそう言った。

他人に言われて不本意な選択をした時、後悔しても命は一人に一つしかないのだから、自分でl決めるしかない。
不安を口にして来るのは良いし、どんどん吐けば受け止めよう。

しかし、ドワレの意思を捻じ曲げようと悪意のある言葉を吐くべきでないし気力を奪ってもいけない。

ドワレが倒れる前、最後の抗がん剤入院の時に珍しく担当医に対して不満を言った事があった。
かなりキツイ口調でLINEの文面から怒りが伝わって来ていた。
その時既に脳内出血の方が進行していたのかも知れないし、長年の抗がん剤や取り扱い注意レベルの痛み止めで冷静さを保てなくなっていたのかも知れない。

退院後の脊柱管狭窄症手術前検査に行く時、予定を聞いていなかった私に「ついて来てくれ、お前がおったら安心や」と言った声の弱々しさ。

今思えばその頃から異様に優しくなって来ていた。
「一人でおったら寂しいやろ?」とAmazonプライムに加入してくれ、それまで一切触らせなかったiMacWindowsモードの起動方法を教えてくれた。

初めて一緒に見たのは「翔んで埼玉」で大笑いし「こんなんええんか!」と言いながら映画内の関係図(ちばらぎ が何故ダメなのか、さいたま県内の市間で揉めてる理由等)を解説して貰いながら楽しく時間を過ごした。

その後は「疲れた」と言って直ぐに寝てしまったが、数日後には「岳」を見ながらまたもや解説をしてくれる。

さいたま県に海が無い事を知らなかったし、上高地で何度も行ったり来たりするヘリコプターを見て「めっちゃ遭難事故多いんやな」と言っている私に笑いながら解説していたドワレ。

もう映画を見ても、出かけた先で珍しい物を写真に撮っても教えてくれるドワレはいない。
リアル、ネット問わずイジメや誹謗中傷する人にわかって欲しい。
もっと生きたい、もっと時間が欲しいそう思いながら死んで行くしか無かった人間がいた事。

初めてドワレの家に行った時、真っ正面のカーテンレール上にサボが飾ってありビックリしたし、押入れにしまってあった「俺の書いた記事が載ってる雑誌やねん」と言って名前の部分を見せてくれた事にも驚いたが、一番驚いたのは俺だってガンちゃうかって金さえあったらヒマラヤに登れるんや!金があったら登りたいんや!」と言っていた事。

当時は最初のガン治療が終わり、仕事復帰を始めたばかりで収入も少なく体力が落ちてフラフラだっただろう。

「五年後の生存率は15%」と言いながらやけにならず人生を諦めず、先を見つめていた姿に目を見張った。
籍を入れる前に「再発したけど今は五年後の生存率って何パーなん?」と聞いてみた。
不安からではなく、知り合って最初の一年目は「不安なんかな?怖いんかな?」と思うくらいに言っていたから。
するとその時「そんなん統計上の問題なだけや」と言ったのでそれ以降聞く事は無くなった。

抗がん剤治療のせいで、血が止まり難くなったドワレに「バイクに乗ったらアカン」とは言えなかった。ただ一言「大丈夫なん?」とだけ言ったから、ドワレは大型バイクの免許を取ったし、北海道ツーリングへも行った。

f:id:acsekitori:20191210210502j:plain

最後のバイク (自宅にあったパーツは善意の第三者さまの協力により購入したショップのメカニックさんに届けられました。)

付き合い始めた頃「ドワレに山をやめさせんといて欲しい」ドワレが兄と慕う人から言われた「冬山は一人では危険で、信頼できる相手がおらなアカン」というのが理由らしいが、その時もやめさせる気はさらさら無かったから、血が止まり難いとか関係無かったのかも知れない。

心無い行いをする人へ

自分だけが不幸だと、自分だけが可愛いと思うのは勝手。
でも、自分と違うタイプの人間を攻撃しないで欲しい。
合わないのなら積極的に近寄らなければいいのだから、自分の友達には自分の好きな人とだけ仲良くして欲しいなんて言うのもエゴだし、親兄弟、夫婦、友達、どんなに近い関係であっても相手は自分では無いのだから自由にさせてあげて欲しいと思う。

負けず嫌いだったドワレは医学上の統計だったり、自分を妬む人間に対して最期まで自分らしく生きる為に選んだ相手が私である。

若い頃に入ったままのガン保険で死亡保険金が少なくても「何とかしよるやろう」と信じた相手が私だったと言う話し。

 

もっと生きたい!時間が欲しい!もっとやりたい事がある!

そう思っていたかどうかは本人ではないから分からないですが、残っていたMacのデータからはそう感じられるメモが多く残されています。

私の周りでは、肉親や友人の愛情をいっぱい受け、勉強やスポーツの才能にも恵まれていた同級生達が重い病や事故で突然この世を去ったりました。

不幸の影が全くない子がある日突然特定失踪者として新聞に載りました。

変化に富んだ人生は私の性格上好みませんし、精神的にはついていけません。
しかし、人がいくら今のままがいいと現状維持を望んでもうまく行くとは限らず、一瞬でそれまでの当たり前が消え去ってしまう事もあるのです。

長くなりましたが、ドワレの悪魔にはこれ以上接触してくる事はしないで欲しいと切に願います。

f:id:acsekitori:20200724203614j:image

(ドワレ祭壇撮影)

死角からの強襲に負けました。

 

f:id:acsekitori:20200703232947j:image

(一カ月前の姿)

その日は突然やってまいりました。

緊急事態宣言が全面解除か?!の速報が流れた数日後、脊柱管狭窄症の術後の衛生管理が悪かった事による感染症で、細菌が全身に回り敗血症の為永眠いたしました。

f:id:acsekitori:20200703233245j:image

(救急搬送3日前の傷の状態)

コロナの影響で消毒液もガーゼも手に入らず、術後は毎日のように消毒しなくてはいけないであろう傷口を消毒する事も傷口をガードする事もできずコロナさえなければもっと生きる事ができたのではないかと悔やまれてなりません。

病弱に生まれ育った私がウィルス感染や細菌対策を頑張る度に「神経症」とバカにしていたドワレ。
こんな事になるのならシバイてでも言う事を聞かせておればと、日々モルヒネ投与の数値が上がり意思疎通のできなくなっていくドワレの顔を見つめ泣く事しかできませんでした。

 

数日前まで元気にしており、普段以上の気性の荒さから「居らんようになったらビックリするかな?隠れたろかな?」と思ってしまう程のフルパワー状態。

コロナ禍の影響で普段暇な仕事が超絶ハードであった事もあり、嵐が静まるまでそっとするつもりもありましたが、仲直りをする暇もなく触れる事のできない場所へ旅立って行ってしまった事は今も信じられません。

f:id:acsekitori:20200716225002j:image

(本人撮影データより)

様子が明らかにおかしいと感じたのは僅か5時間前の事。
その異変も素人がこれは何かの病だと気付けるほどの症状ではありません。
緊急事態宣言の最中で隣市では第三次救急の病院でコロナ患者が発生し、外来がストップするという事態も起こっており、市内に救急病院もないので搬送先はどうなる事かとそればかりを気にしておりました。

ドワレはこれまでも様々な理由で数度救急搬送されており、この時も病院に行きさえすればまた一緒に帰れるそう信じて疑いませんでした。

末期ガン患者であるドワレに対してそう思えたのは、私の家族数人がガンで他界した時の様子を幼心にも鮮明に覚えているからです。

ドワレは痩せた事を気にしておりましたが、指相撲も足相撲も私の体が飛ばされる程強く、力がみなぎっておりましたし、買い物へ行った先でワザと私に体当たりして来ようとした人には私の後ろに立って睨みをきかせて追い払ったりして楽しんでおり、とても末期ガン患者とは思えぬ気迫を放っていたのです。

 

ガンとはまだまだ闘える

私はそう確信しておりました。
どんなに副作用が酷く辛い生活を続けていても好きな事を自由にできる限りは闘える。

そう信じており、好きな事を好きなだけさせてあげるのが何もできない私の唯一の仕事だと思っておりました。


医療は進歩し好きな事を楽しみながら治療ができるドワレを間近で見続けて数年。
鬼畜のごとく所業の女性が数人現れ、副作用で苦しむドワレにトドメをさそうと画策する行為も散見されましたが、心の底からドワレを愛し守ろうとする方々の真心により何度も窮地を脱し続けてました。

相手の事を真に愛し守ろうとする人の言葉や行動は、本人の意識せざるところで相手を救い守ります。
それをドワレの傍で何度も目にしてまいりました。

その鬼畜のごとく所業の女性はドワレが危篤の時や亡くなった直後にも悪意にみちた行動をお取りになっておられ、普段周囲の人間に対して諦めの極地でいる私ですら怒りを覚えるものでした。

 

心の卑しい人というのは全身傷だらけの人間を笑顔で崖下に突き落とすような言動をされるのだなと哀れさを感じます。

 

しかし、ドワレが学生時代から育み守り続けて来た仲間達はとても素晴らしい方々ばかりで1、2度しか会った事のない私に対し、まるでドワレ自身にしてやるかのように慈悲をかけてくださりました。

「明け方までが勝負」「後2、3日」「来週までもたない」と何度も医師に宣告されながらも10日間という長い間必死で闘い続け、7年分の思い出しかない私に56年分の生き様を見せて行ってくれたのだと信じております。

ドワレのiPhoneのパスワードはとても単純で、救急搬送された直後から主だった方にLINEや電話で連絡する事ができ、その他の方にはグループLINEを通して連絡させて頂きました。

みなさんがLINEで毎朝励ましの言葉をかけてくださる度、枕元で読み聞かせておりましたので時折雄叫びをあげる事も何度かありました。

 

やれる事は全てやったかもしれない

最初は毎日自宅と病院を送迎してもらっていましたが、早朝や深夜に電話がかかってくる度にいつか間に合わない日がくるかもと、不安になり途中から病院に寝泊まりし続けました。

院内にいるのに心配で仕方がないからと売店や喫茶室にすら行かない私に、ドワレが兄と慕う方が喫茶室へ気分転換に連れ出して下さったり、毎日食事を差し入れしてくださりました。

同級生の方は面会に来られたのに「自宅へ帰らはるんやったら送迎しますよ」と行ってくださって、送迎だけでなく気分転換に食事に連れ出してくださり、私の知らないドワレの昔話しを聞かせて下さいました。

ほんの少しの時間でも一人きりにするのが心配だと落ち着かない様子で自宅に帰っている時、ドワレの先輩方が平日にも関わらず面会に訪れてくださったので、寂しい思いをせずに済んだと思います。

後半は病室に泊まり込み、付き添いベッドをドワレのベッドの横へ置いて、手の甲を撫でるとゆっくりと手をお腹の上に乗せる反応をしてみせてくれました。

 

付き添っていても濡れたタオルで足を拭いてやったり、アラームが鳴る度にナースコールを押し見つめる事しかできません。

最期の日は何故だか寝付けずにいて、ドワレが入院前にAmazonプライムの「ウォッチリスト」に入れた映画を数本、少しずつ聞かせて話しかけてから眠りについた僅か4時間後、アラームが病室に鳴り響きました。

しかし、いつものように直ぐナースコールを押すことができません。
少しの間がありナースコールを押すと看護婦さんが「呼吸が止まっています。先生を呼びますね」と仰ったのが、信じられずモニターを見に行ったり意味もなく部屋の中をウロウロしてしまい、連絡すべき人に連絡するのも遅れてしまいました。

その日は緊急事態宣言緩和を受けて遠方に住むドワレの友人が来られる日で、新大阪駅から共通の友人の車で向かっておられる最中でしたので、私と荷物の両方の搬出を手伝って下さる方も時間稼ぎをして下さったのですが、病院の方からの「そろそろ...」という一言で荷物を持って窓外へ視線を向けた瞬間、友人の方が乗った車が駐車場のゲート前に止まるのが見え涙が込み上げてきました。

 

私の知らないドワレの姿

私と荷物の搬出をして下さった方がテキパキと電話で伝えて下さったので、その方とは葬儀社の前で無事合流する事ができました。

荷物を一旦自宅へ置いて葬儀社へ行く間にグループLINEでドワレの死去を伝える事はできたものの、葬儀云々の問いかけには涙と震えでうまく打てず、クラス会のLINEグループには同級生の方に代理で打って頂き伝える事ができました。

 

コロナや様々な事情を考えて当日の通夜は無し、翌日は葬儀ではなくお別れ会という名のひっそりとした形にする事を予め決めておりましたが、当日は葬儀社の方のご厚意で数時間だけ焼香に訪れる方への対応等していただけましたので、お別れ会当日に来られない方にも最期の別れをして頂けました事をドワレも喜んでいたと思います。

お別れ会当日は急な事もあり、山岳部のみなさんのみの参加かと思っておりましたが、多くの同級生の方がお集まりくださりました。

山岳部以外の参加者のみなさんには失礼なことですが、お名前も関係性も分かりませんでしたので、ただ来て下さった事への感謝を述べる事しかできなかった事をこの場でお詫び申し上げます。

私がドワレと初めて会ったのはドワレが49歳、私が41歳の時でした。
「再婚する気があるのか?1」と思うような難解な条件を全て満たしていた事が私と会おうと思ったきっかけだったそうです。

その後、自宅にてドワレが撮った写真をそれとは知らせず、私に見せた時の感想を聞いて、付き合おうと決めたと言われました。

籍を入れると言われたのも突然で「何日が良い?」と聞かれ「覚え易いから日本紅茶の日が良い!」と言ったのに車中泊に夢中になり過ぎた為、1日遅れでの提出です。

ドワレが倒れる一ヶ月くらい前に「そういえば好きって言われた事ないな〜」とポツリと言って来たので「そういえばそうだな」と思ったのですが、よく考えてみればドワレも「可愛いな〜」と言ってくれた事はあっても「好き」と言って来た事はなかったかも?と思っておりました。

 

 

たった5年間の結婚生活

ドワレの何を知っているのかと言われれば何も知らなかったのかもしれません。
しかし、私はドワレが抗がん剤と闘って来た年月を誰よりも身近で見て来たと思っていますし、そう信じたいです。

たかが5年の結婚生活を「他人」と表現する方が居られる事も事実ですし、病室では言おうとしている事が分からず歯がゆい思いもさせました。
長年連れ添ってはいないから未熟な妻だと言われても反論のしようもありません。

f:id:acsekitori:20200703234959j:image

 (死後数日後に紐が切れてしまったトンボ玉)

 

ドワレが禿げた時に毛糸の帽子を作ると「頭おかしいんちゃうか?!何でこんなん作れるんや!」「でも俺にはアウトドアブランドの帽子があるしな」と言われ、一人で留守番している間にマスク不足になったからと、自宅にある余り物で布マスクを作った時には「ゴムが短い」「息ができひん」と言いながらも人混みへ行く時にはしぶしぶ着けてくれていました。

古い大阪弁を話すと、きまって意味がわからなかったドワレは倒れる直前にも「何それ?!」とビックリしていましたが、いたずら心から意味を教えてあげませんでした。

そのようにお互い日々新発見があるような2人。

いつも悪ふざけが多くて本心が分かり難いドワレであり、どつき漫才的なノリに地方出身の方がDVと勘違いしたりもありました。

長年連れ添った夫婦だけが素晴らしいという方も居られるでしょう。
しかし、私が若い頃にドワレともし会っていたら近寄る事すらしていなかったくらい住む世界の違う人でした。
私の卒業アルバムの写真を見て「全然印象に残らん普通の顔」「クラスにおっても興味が湧かん顔」と言っていたドワレが私に興味を持つ事もなかったでしょう。

一度失敗したからこそ妥協しすぎは良くないと反省し、ある程度の理想を追い求めた結果がドワレであり、一度失敗した事による何らかの反省や学びがあったからこその私だったのだと思います。

 

過去について多くを語らなかったドワレでしたので、私は過去を知りません。
死後、悪い噂を耳に入れてくる方がいても「誰を信じて誰を信じない」ではなく、いろんな方が見聞きして来た行動や言動の全てが、私の知っているドワレを形成した過程であると思っています。

些細な事で怒鳴りつけられたり、突然無邪気な子供のように『叩いてかぶってジャンケンポン』みたいな事をしてきたドワレ。

死の数日前『おい!出かけるぞ!』と言って来たドワレに『コインパーキングの中でトイレにも行けんと何時間も待ってやなアカンの?外ウロウロしたらコロナも怖いのに…』と言った私に『お前が居ったら安心や』と珍しく弱気な発言をしておりたしたので、いつもとは違う異変を感じ取っていたのでしょう。

看護婦さんによると、ドワレの状況はカナリの痛みがあった筈との事。

緊急入院になって私に寂しい思いをさせたくないと我慢したのかもしれませんし、処方されていた取り扱い注意レベルの痛み止めのせいで、あまり痛く無かったのかも知れません。

私の事を途中忘れてしまって『誰これ、分からん』と言っていましたが、意思疎通ができなくなる数日前には思い出してくれた時もありました。

面会に来られた方が『キャンピングカーは完成?』と聞いた時、静かに首を横に振っておりましたし、死後に確認したMacのデータを見ると2カ月先までの車中泊予定がビッシリ書かれていました。

また日本一周計画も別で書かれていたので、まだまだ行き残した場所があったでしょう。

その計画の中には、成人式に着物を着せて貰えなかった私の為にレンタル着物を着て古い町並みでの撮影計画もありました。

私が一番感謝しているのは、数年前に見た『運転中のドワレが突然死して体を動かそうとしている最中に車に衝突する』夢を現実にしなかった事です。

倒れる5時間前の運転中に何度か危ない場面がありましたので、一歩間違えば私も死んでいたか重症を負っていた事でしょう。

たくさんの楽しかった思い出は今は只、全て悲しい思い出でしかありません。

『空から突然舞い降りて来たようなくらい信じられへん』と何度か言われたくらい希有な存在だった私。

自分の好きな格好をさせ、カラオケでは自分の好きな歌だけを歌わせ、一緒にいたい時には怒鳴り付けてでも一緒にいさせました。

私が病室を出る時決まって『出かけて来るから居らん時に具合悪なったらアカンで待っててや』と毎回声をかけていたので約束通り頑張ってくれました。

一つだけドワレが私に嘘を付いたとするなら『俺が死ぬ時はお前の腕にしがみ付いて離れへんから一緒に火葬されよな。お前は生きたまま一緒に逝くんやで』と言った一言でしょうか。

ドワレの死顔は目に薄っすらと涙を浮かべてはいたものの、疲れて寝落ちしているような静かさでした。

 

色々悔いる事もありますが、お子様方が面会に来られたら私は後妻らしく、1人病院の別フロアにて待機する覚悟でおりました所、コロナ禍等の事情もあり来られる事はありませんでしたし、早朝という事もあり、誰に遠慮をする事もなく2人っきりで過ごせました事は私にとって、何よりも幸せな時間でありました。

 

これらの事を全て嘘で固めた綺麗事と陰口を叩く方もおられるでしょう。

ドワレに負けず劣らず長文である私ですが、何度も加筆修正していても、これが今現在の飾らぬ気持ちであります。

 

f:id:acsekitori:20200716225120j:image

(妻撮影ドワレ編集データより)

 

 

車中泊と足の筋力/車中泊 〜ぐらぐらとふらつく足で旅は危険や〜

にほんブログ村 旅行ブログ 車中泊の旅へ
にほんブログ村

にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへ
にほんブログ村

いつもありがとうございます!

f:id:acsekitori:20200512044712j:image

2020.5.12 エッセイ

どうも、シバク・ドワレです。

なかなかのピンチ度合いです。昨日は妻の病院への送迎と、近くにある先日腰のオペで入院していた病院に診断書を受取りに行ったのですが、妻の病院は大規模総合病院なので待ち時間が長いためロケバンで行ったんです。

すると、何もつまずいたりしてないのに3回もロケバンへの乗り降りでコケてしまいました。

原因は右脚の大腿筋力低下による、上体を支えられないことでしょう。ちょうどオートバイ入院乗り始めた頃によくある、信号待ちでの立ちゴケみたいな感じです。

 

もうコケるのにも慣れてきて、恥ずかしくなりませんし、自然と受身を取って頭は防いでるわですが、妻からもそのうち骨折するでぇ〜、と懸念されています。

すきーを含めても、これだけ短期間に集中してコケているのは人生で初めてです。 

リハビリ不足で筋肉が付かないのは判っているのですが、主治医からは過度のリハビリは削ったヘルニアが再度突出して元の木阿弥に戻る危険性があるので、くれぐれも無理はしないように、との独断ストップを受けています。   

 

今の友達は、永遠の親友であるウォシュレットと、最近知り合ったダイソーのT字グリップ付きの杖。

もうしばらくは杖無しの生活は考えられません。しかし、先日豪華な和牛肉→国産うなぎなどの弁当を届けていただいた山岳部の先輩に伺ったところ、私と同じ病状でオペを受けた方は何ヶ月も歩く事が出来ずに寝たきりだったそうなので、これでも充分無理をしているのかも。

 

しかしながら、足を庇いすぎて歩いてないとますます筋肉は痩せ劣り、食欲も出てこないので脂肪も落ちる悪循環に陥りますので、なんとか二次災害受傷防止の範囲内での歩く生活を送りたいと思っています。

 

して、車中泊

時は幸か不幸か自粛モード真っ只中ですので、ぜんぜん行っていませんから今のところ問題は起きていません。

特に私のロケバンである日産キャラバンはエンジンがフロントシートの真下にあるキャブオーバーなので、乗り降りが大変なんです。

元気な頃は全くなんともなかったこの作業ですが、現状ではこれを1日に10何回も繰り返すのはとても辛い。 

後部居室に移動したあとなら、福祉車両だけあって各種ハンドグリップが充実しており、ドアを開けると電動でステップが勝手に降りてきますのでお年寄りや障害者にはもってこいなんですが、運転中トイレやスーパーなどに寄る時が問題なんです。

 

そしてそして、懸案であるオートバイ。

いくら600ccクラスの軽量アメリカンにしたところで、この状態で運転するなら立ちゴケは必須で、危険な事この上ないし、壊れてしまいます。

やっぱ腰と云ふ人間の身体の中枢を病んでしまった以上、オートバイは無理かな。

多少の無理は人間には必要項目ですが、ムチャと無謀は論外ですから。

 

まあ、まだ、オペをしてから20日足らず。焦らず慌てず、まずは日常生活に戻れるのを最優先して、ほどほどにがんばって行きたいと思います。もうら3日ほどでケモ入院ですしね!

2020.5.12

 

ご閲覧ありがとうございました。

よろしければ他の記事も覗いて行ってくださいね。 内装自作バンコン キャンピングカーと鉄道旅を中心に、夫婦での旅記録が主な内容です。 ランキングをポチッと押していただけると励みになりますので幸甚です。

にほんブログ村 旅行ブログ 車中泊の旅へ
にほんブログ村

にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへ
にほんブログ村

いつもありがとうございます!

車中泊と夫婦喧嘩/車中泊 〜イライラとしたときにはしばし沈黙、のち饒舌〜

にほんブログ村 旅行ブログ 車中泊の旅へ
にほんブログ村

にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへ
にほんブログ村

いつもありがとうございます!

f:id:acsekitori:20200509004320j:plain2020.5.9 エッセイ

どうも、シバク・ドワレです。

昨日は手術退院後一発目の外来受診を受けてきました。キズの方は順調に回復していますが、筋肉の落ち方はなかなかのスピードで、リハビリと言う名のその辺りの散歩ではとても追い付きません。

慌ててダイソーでステッキを購入して、片方だけ杖をつく生活です。

 

これほどまでに、全身麻酔下での手術が抗がん剤治療中の人間の体力を落とすものとは知りませんでした。がんの主治医が反対した理由が判りましたよ。

抗がん剤を打つのは休薬期間にハマっていましたからスケジュール変更はないのですが、寝たきりの時間が長くなるために、筋力が落ちるのと食欲が無くなるのです。

 

私は今は茶碗に半分くらいのメシを食うと吐き気に見舞われ、それ以上食べることができません。ラーメンやうどんなども、半人前が良いところ。

復活せんかなぁ、食欲。。。

 

さて、表題の夫婦喧嘩。

私達夫婦は、玄関を出てロケバンに荷物を積み終わる頃にはもうケンカしています。

なに、本気の殴り合いなどでは決してなく、アレを忘れたとか出るのが遅くなって予定が狂った、とかのささやかな喧嘩です。

しばらく口を聞かない時もありますが、そのうち妻が静寂に耐えかねてなんらかの質問をしてきますので、私もすかさず待ってましたとばかり返事をします。

 

敢えて喧嘩直後には、何も言わないようにしています。妻のハラワタが煮えくり返っているとしたら、火に油を注ぐ結果は目に見えているからです。

原因がどちらにあるとしても、しばしの沈黙に耐えられる能力・適性は私に軍配が上がりますので、妻が落ち着くのを見計らって適当に声を掛けてやれば、直ぐに元に戻ります。

 

他にも道中で同じように口論になる事が多々ありますが、いずれも私は激論は交わさず、腰やがんの疼痛でシンドイからもう寝る!宣言をしてしばらく寝ます。

すると、目覚めた時には大概は妻の機嫌は元に戻っています。

それから買ってあった食材で車内夕飯を作るか、ない時は外食に向かいますが、箸を握る頃になればもうすっかり忘れてはしゃぎ回る妻。

 

世の女性の中には、男が土下座でもしない限り絶対に折れないヒトもいるかもしれませんが、我が妻に限ってはそれはありません。

そんな事、私は永久にしない事を解っているからでしょう。

 

道の駅やSAでもしょっちゅう口喧嘩をしている熟年夫婦を見かけます。

私はなるべく関わらないように妻の手を引っ張りながら、遠ざかります。要らぬ世話を焼くつもりなど毛頭ありません。

夫婦喧嘩は犬も食わないとはよく言う例えですが、まさにその通り。クワバラクワバラ。

2020.5.9

 

ご閲覧ありがとうございました。

よろしければ他の記事も覗いて行ってくださいね。 内装自作バンコン キャンピングカーと鉄道旅を中心に、夫婦での旅記録が主な内容です。 ランキングをポチッと押していただけると励みになりますので幸甚です。

にほんブログ村 旅行ブログ 車中泊の旅へ
にほんブログ村

にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへ
にほんブログ村

いつもありがとうございます!

車中泊と子供/車中泊 〜親はなくとも子は育つ。楽しかった思い出は胸に秘め〜

にほんブログ村 旅行ブログ 車中泊の旅へ
にほんブログ村

にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへ
にほんブログ村

いつもありがとうございます!

f:id:acsekitori:20200505110711j:plain2020.5.5 こどもの日エッセイ

どうも、シバク・ドワレです。

今気付いたのですが、今日はこどもの日ですな。我が家には子供がいないので、なんら特別な事はしません。

しかし、かつては私も子供と一緒にキャブコンなどでいろんなところを旅しました。その子供たちも、2人とももう30を越えていますので20年以上前の話です。

 

元妻を含めると、4人と1匹の大所帯。

最初はランクル60やデリカスターワゴンなどの改造キャンピングカーで頑張っていましたが、やはり行き着くところは二階にベッドがあるキャブコンでした。

息子に二階で寝させて、あとは一階のベッドでゴロ寝。それでも端っこにテーブルを置くスペースが余っており、なおかつ中型犬が丸まっていましたから、2×2.5mほどのベッドスペースがいかに広大だったか。

 

今は妻と2人ですからそこまでの広さは要らないのですが、腰のためには少しでも余分なスペースがある方が良いに決まってるので、寝室とリビングが分けられるキャブコンなどが欲しくて仕方ない。

宝くじ当たらんかなぁ。買ってないけど。

それよりも、ロケバンでさえ自粛で出せないのですから早く新型コロナに終息してもらわないとね。

 

で、その小学生だった子供たちとの思い出は、主に登山とテーマパークでした。

相反するその二つの娯楽ですが、どちらかに偏るのがキライだったのです。

山は、北八ヶ岳によく出かけました。

高速で諏訪まで走り、国道を走って標高二千メートルの峠にて車中泊し、近辺の百名山である蓼科山などに登ったのです。

他には中国地方の伯耆大山を望む山や、伊吹山など。そして極め付けは私の息子とカメラマン仲間を連れて、南アルプス甲斐駒ヶ岳に登った思い出です。息子は五年生でしたから、きっと覚えているでしょう。

 

テーマパークには、今は亡き北九州のスペースワールドに年越しカウントダウンに行ったのが最大の楽しき思い出です。

犬がいましたから適当に父と息子、母と娘で交代しながらアトラクションを楽しみ、時々は全員で何かに乗ったような気がします。

単にキャラクターが登場するディズニーよりも、宇宙がテーマだったスペースワールドが大好きでした。

ディズニーワールドの一人勝ちで、ユニバーサルスタジオが追いかけている現状ではもあんな特殊なテーマパークは無理でしょうね。

せめてハウステンボスには頑張ってほしいものです。

コロナが収束したら行こうかな、ハウステンボス

 

子供は育つものですからいま妻と2人なのはぜんぜん悔しくありません。いや、それどころかその自由さを謳歌しとります。

はやく行きたいなあ、キャラバン。

2020.5.5

 

ご閲覧ありがとうございました。

よろしければ他の記事も覗いて行ってくださいね。 内装自作バンコン キャンピングカーと鉄道旅を中心に、夫婦での旅記録が主な内容です。 ランキングをポチッと押していただけると励みになりますので幸甚です。

にほんブログ村 旅行ブログ 車中泊の旅へ
にほんブログ村

にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへ
にほんブログ村

いつもありがとうございます!

車中泊と買い物/車中泊 〜切っては切れない良き相棒、物販店〜

にほんブログ村 旅行ブログ 車中泊の旅へ
にほんブログ村

にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへ
にほんブログ村

いつもありがとうございます!

f:id:acsekitori:20200504073436j:image

2020.5.4 車中泊の実際

どうも、シバク・ドワレです。

病院食を拒絶した後遺症が訪れ、食欲はあるのですが吐き気が止まりません。これも抗がん剤の副作用の一種ですので仕方ないのですが、下痢よりもタチが悪い。

下痢だけなら何度もトイレに駈け込めばなんとでもなりますが、吐き気、もしくは嘔吐はその後しばらく食べられなくなりますので痩せる一方です。

24時間そうな訳では無くて、食べられる時間もあるのでそんな時に好きなもんを少しずつ食べてしのいでいます。

 

さて、表題の件。

皆さんは車中泊のとき、どんなところで買い物をしていますか?

筆頭は、見つけやすい大手のスーパーだと思います。今ならイオンモールがいちばんですね。他に系列のマックスバリュやザ・ビッグなど。

それに対抗するイトーヨーカドーゆめタウンなども、かなりの地方都市でも必ずどれかのミニモールが一つはありますから、まあ見つけ損なう事は少ないでしょう。

 

しかし、それらの大手のデメリットは、商品構成が似通っていて地場産の美味い名物に当たりにくいこと。

例えば刺身は、どこのイオンでも遠く離れた港からセントラルキッチンに仕入れて全国搬送したような、画一的なもんばかりが並びます。

逆に明太子などは全国どこの大手スーパーに行っても入手できますが、博多の有名店のものだとバカ高いですよね。なんか値打ちありませんし。

 

f:id:acsekitori:20200504073453j:image

ですので私がまず探すのは、地域に根ざした中堅どころのスーパーです。

岡山ならサンヨーマルナカ、境港ならPLANT5など、全国的には名が通っていなくとも、地元の人で混雑するようなスーパーだと、先ほどのデメリットは解消されます。

特に魚は地元漁協と組んでいたりしますから、新鮮で珍しい近海物を一匹丸ごと並べてあり、頼めば造りにしてくれる店も良くあります。

 

 

f:id:acsekitori:20200504074944j:plain

f:id:acsekitori:20200504075001j:plain

f:id:acsekitori:20200504075007j:plain

兵庫県西部 道の駅みつ


大きなところで言えば、道の駅の産直コーナーで買い物をすれば、すぐ横のイートインで食べられたりします。

画像は道の駅みつですが、とれとれの海産物をすぐ上のテラスに特設してあるBBQコーナーで無料で焼いてくれますので(もちろん具材セットに席料は加味されていますが)、家に持ち帰らずともその場で火起こしから片付けまで総てやってもらえます。

キャンプ場に赴く途中なら食材だけ買い求めたら良いのですが、ちょっと昼飯にBBQが手軽にできるのが良いですね。画像の海鮮セットプラス牛肉を買ったのでで5千円ちょっとでしたが、食いきるのに必死でした。

 

f:id:acsekitori:20200504075812j:plain

f:id:acsekitori:20200504075824j:plain

馬刺しやふくのテッサを求めに、個人店に行くのも旅の醍醐味の一つです。

これらは本場でないとなかなか巡り合わないので、どうやって見つけ出すか。それを工夫してネットなどで見つけるのも良いのですが、大きな国道を走っていれば必ず何件か目に止まりますので、行き過ぎてもUターンして引き返し、寄るようにしています。

 

値段はめちゃくちゃ安いってことはあまりありませんが、道の駅の産直よりは個人店の方が多少は安いかな。

それよりも品数が豊富なのが良いですね。特に馬刺しなどは赤身から霜降り、タテガミなどの希少部位もチョイスできますから飽きません。私の九州旅にはなくてはならない友となっています。

 

このように、晩飯のメニューを考えながらする買い物も、キャラバンの大いなる楽しみのひとつです。

2020.5.4

 

ご閲覧ありがとうございました。

よろしければ他の記事も覗いて行ってくださいね。 内装自作バンコン キャンピングカーと鉄道旅を中心に、夫婦での旅記録が主な内容です。 ランキングをポチッと押していただけると励みになりますので幸甚です。

にほんブログ村 旅行ブログ 車中泊の旅へ
にほんブログ村

にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへ
にほんブログ村

いつもありがとうございます!

キャンピングカーと待機/自作 バンコン キャンピングカー 〜買い物で疲れたらロケバンにていっぷくを〜

にほんブログ村 旅行ブログ 車中泊の旅へ
にほんブログ村

にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへ
にほんブログ村

いつもありがとうございます!

f:id:acsekitori:20200503070918j:image

2020.5.3 エッセイ

どうも、シバク・ドワレです。

自宅でAmazonプライムを利用して、映画や名作ドラマなるものばかりを観ています。こんなにテレビ画面に向き合うのは初めてかもしれません。

わざわざレンタルショップに行って選び、一回に¥2000程使っていた時代しか知らない私には、なんとも有り難い時代が来たものです。

 

さて、キャンピングカーでの待機。

一昨日は、家庭用雑貨が乏しくなってきたとの報告を受け、ホームセンターのスーパービバホームへ行ってきました。

なんでもあまりの来店者数に三密になる恐れから、5/2〜休業するらしいので、ラストチャンスだったんです。ホームセンターまで閉まってしまうなど、正に異常事態ですね。

 

そして買い物。

オペからのリハビリになりますから遠目の駐車場から芳香剤のコーナーまで歩きましたが、その辺りで足腰に限界が。それまでは院内の狭い回廊を歩いていただけなので、まだまだ長距離歩行には足が馴染んでいません。

そこで残りの雑貨を妻に託し、私はロケバンに帰ることにしました。

当然ながら同じ距離を歩かなければクルマには戻れませんので、ヘトヘトになってロケバン着。

 

すぐさま、常設ベッドに横たわり、足をもみほぐして眠りに就きました。

一度重たい洗剤などの雑貨を置きに来た妻は、再度百均へと出かけて行きましたので、都合30分は寝られたでしょうか。

窓からは八十八夜も過ぎた初夏の陽光が、優しく降り注いでいます。窓を少し開けたら、そよそよと風が流れて心地良さは全開です。

 

このように、日常の何気ない買い物などでも、体調が良く無い時などは大活躍してくれるロケバン。

もう、私の闘病生活にキャンピングカーは欠かせなくなってしまいました。

買い物をした後車内でメシを食うなど、ごく普通のことです。むしろ今は新型コロナウイルス の影響を考慮したら、店内で食べるよりもよほど感染率は低いでしょう。

 

自粛で自宅にいるのが本筋としても、買い物無しではなかなか生活ができません。前回の抗がん剤入院中には、イオンのネットスーパーも途中からは配達不能に陥りました。

あまりの依頼集中に、配達能力がパンクしたのです。

 

テーマパークのようにモールを遊びのために利用する気はまったくありませんが、必要最低限の買い物をして、駐車場でロケバンで休養を採る。

こうやってうまく自粛生活の中にもキャンピングカーライフを取り入れています。

2020.5.3

 

ご閲覧ありがとうございました。

よろしければ他の記事も覗いて行ってくださいね。 内装自作バンコン キャンピングカーと鉄道旅を中心に、夫婦での旅記録が主な内容です。 ランキングをポチッと押していただけると励みになりますので幸甚です。

にほんブログ村 旅行ブログ 車中泊の旅へ
にほんブログ村

にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへ
にほんブログ村

いつもありがとうございます!

車中泊と我慢/妄想 〜行けない時、いったつもりで考える〜

にほんブログ村 旅行ブログ 車中泊の旅へ
にほんブログ村

にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへ
にほんブログ村

いつもありがとうございます!

f:id:acsekitori:20200501093114j:image

2020.5.1 妄想エッセイ

どうも、シバク・ドワレです。

退院してゴールデンウィークを迎えたというのに、自粛でどこにも行けません。

これは新型コロナウイルス 蔓延防止のため仕方がないことで、各人一人ひとりが守らなければ意味が無いのですから、諦めています。

こんな時は、来たるべき収束後に向けて、ロングキャラバンの妄想でもしましょう。

 

まだロケバンでは見ぬ地の北海道や東北も魅力的ですが、現実には予算の関係でなかなかハードルが高い。しかも将来的にはキャブコンへの乗り換えも視野に入れていますので、尚更のこと散財は控えて少しでも貯蓄に回さないといけません。

今は全国的に自粛ですから、大好きな蒸気機関車も運休になっているものが多く、それを目的にするのも困難ですが、そもそもロングキャラバンに出かけられるのは収束後でしたね。

 

話がややこしいので整理すると、

・現在は全国的に緊急事態宣言が出されている状態で、知事から不要不急の越境は実質的に禁止されているので旅行はできない

・花火や祭りなどのイベントはほぼ中止

・臨時列車は運休

ですので、当然私も娯楽の旅は自粛しています。

 

それが、

・発症者数が激減、もしくは皆無になり緊急事態宣言が解除される

・政府から経済活動再開のため旅行などが推奨される

ようになれば、大手を振って出かけられますが、決まった中止イベントは来年度まで復活は難しいでしょう。

 

そうなれば、九州に墓参りをしがてら、グルメ紀行でもしましょう。

外食を控えて個人経営の市場店などで仕入れれば、大した散財にはなりません。馬刺し、明太子、ふく・地魚の造りなどなど、また最近全然行っていない鹿児島や宮崎に足を伸ばして黒豚や地鶏もよいですね。

長崎で本場の皿うどんやちゃんぽんも捨てがたい。

 

1日に100kmくらいしか移動しなければ、10日くらいなどあっちゅう間に過ぎてしまいますから、車内の整理が重要になってきます。

幸い九州はRVパーク天国なので、3日に一回はRVパークを利用して充電や皿洗いなどをし、温泉にも入りましょう。

週に一度はオートキャンプ場を利用するのも、狭い車内から解放されてストレス解消には抜群の効果を発揮します。

 

このように、行けなくても妄想を膨らますことで、また過去の大量の画像を見ているだけでもけっこう車中泊気分になるものです。

それを自宅の快適な環境でできる、と負け惜しみに思っておきましょう。

2020.5.1

 

ご閲覧ありがとうございました。

よろしければ他の記事も覗いて行ってくださいね。 内装自作バンコン キャンピングカーと鉄道旅を中心に、夫婦での旅記録が主な内容です。 ランキングをポチッと押していただけると励みになりますので幸甚です。

にほんブログ村 旅行ブログ 車中泊の旅へ
にほんブログ村

にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへ
にほんブログ村

いつもありがとうございます!

退院/闘病記 〜やっとこさ、釈放されてひと安心〜

にほんブログ村 旅行ブログ 車中泊の旅へ
にほんブログ村

にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへ
にほんブログ村

いつもありがとうございます!

f:id:acsekitori:20200430092652j:image

2020.4.29 退院報告

どうも、シバク・ドワレです。

昨日、腰部脊柱管狭窄症と椎間板ヘルニアの手術入院治療から、無事に退院できました。

皆さまの温かいおハゲましも力になり、しんどいリハビリも順調にこなしてスイスイと歩くことができるようになりました。

 

f:id:acsekitori:20200430093613j:image
f:id:acsekitori:20200430093609j:image

妻に迎えに来てもらい、清算も済ませて病院を後にします。

京阪8000系特急で、我が家を目指しましょう。

自粛の効果はバッチリ出ており、車内には我々の他に1人か2人くらいしか乗っていません。

私の長い乗り鉄人生で、こんながら空きの車内は初めてです。


f:id:acsekitori:20200430093600j:image
f:id:acsekitori:20200430093604j:image
f:id:acsekitori:20200430093555j:image
f:id:acsekitori:20200430093617j:image

しばし旅気分を味わい、駅からの15分を本日のリハビリとして歩き、自宅に着いた時にはヘロヘロでした。

まだ椎間板を削ったばかりなので、無理をするとまたヘルニアの症状が出てしまうので数ヶ月はおとなしくリハビリに充てないとなりません。

オートバイなんぞ、夢のまた夢、まだまだ先の話ですが車種選びをするだけでも楽しいですよね。今がいちばん幸せなときかも。

 

ベッドではなく布団生活にしたので、起き上がるのも大変ですが、それも筋肉を鍛えるための課題と捉えています。

2020.4.30

 

ご閲覧ありがとうございました。

よろしければ他の記事も覗いて行ってくださいね。 内装自作バンコン キャンピングカーと鉄道旅を中心に、夫婦での旅記録が主な内容です。 ランキングをポチッと押していただけると励みになりますので幸甚です。

にほんブログ村 旅行ブログ 車中泊の旅へ
にほんブログ村

にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへ
にほんブログ村

いつもありがとうございます!

車中泊と腰痛/車中泊 〜アタタタタっとなる前に〜

にほんブログ村 旅行ブログ 車中泊の旅へ
にほんブログ村

にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへ
にほんブログ村

いつもありがとうございます!

f:id:acsekitori:20200428023132j:image

2020.4.28 車中泊エッセイ

どうも、シバク・ドワレです。

帰ってきました、「車中泊となんたら」シリーズ。まだ腰部脊柱管狭窄症のオペから退院していませんが、リハビリは順調です。

今日はその病気が原因となっていた腰痛と、車中泊を考えてみます。

狭い車内で寝泊まりして、腰痛に良い訳は無いのですが、それではどうするか。行かなけりゃいいじゃん!では話が終了しますので、対策を練りましょう。

 

まずは快適な寝床の確保から。

先日ベッドの作り方なんかのところでも触れましたが、健常者でもそうなんだから腰痛持ちにはフラットなる段差無しのベッドは必須です。

 

f:id:acsekitori:20200428023933j:image

私は前所有簡易キャンピングカーであるトヨタグランビア改に付いていたベッドマットに、PVCレザーの表皮を張り直して車内座敷にしています。

150×200cmの堂々たるベッドですが、厚みが少々足らずクッション性が悪いので、妻お手製の高反発座布団マットを敷いて寝ているのですが、更に今回初めて8cm厚の車中泊マットも安売りしていたのでAmazonで買ってみました。

自宅には着いているのですが、まだ開けていませんのでこの画像には写っていません。

退院しても自粛でどこにも行けないので、自宅ででも使ってみましょう。

 

そして、寝るときはその段差なしのベッドで良いとして、後はいかに同じ姿勢をとり続けないかです。トイレに行く回数を増やすとか、土産物コーナーを徘徊するとか、車メシばかりでなく外食を摂るとか。

そして何よりも、車内で定期的に立って腰を伸ばすだけでも随分と違います。

 

物理的には、マッサージチェアを持って行くわけにはいきませんので、土産物コーナーでよく売っているハテナの形をしたツボ押しとか、ダイソーの健康器具コーナーに置いてあるゴロゴロローラーなどを持参して、血行を良くする努力が欠かせません。

これらを車内のベッドに寝そべりながらテレビかオーディオを流してダラダラと揉み解せば、かなり腰痛は解消されていました。

 

f:id:acsekitori:20200428025414j:image
f:id:acsekitori:20200428025419j:image

もちろん、そんなマッサージをする前には入浴が欠かせませんよね。

ベストなのは天然温泉併設の道の駅やSAなんですが、いつもいつもある訳ではないので立寄り温泉に浸かり、道の駅などに移動することになります。

 

少し前までは風呂上がりのビールが無いと死にかけていましたが、すっかり酒嫌いになった私は次の停泊地に着いてからビールを飲むパターンに代わっても平気になりました。飲むんかい!

理想はサウナから出た後の汗を拭いながらキューっと空ける生ビールですけどね!飲酒運転だけは避けなければならないので我慢我慢。

 

このように狭い車内ではありますが、温泉に入りビールを飲んで土産物コーナーをウロツキ、トイレに何度も行きテレビを観ながらマッサージする事でかなり自宅に近い環境の中、腰痛対策となります。

 

結論としては、腰痛対策には車中泊と言えども如何に日常と変わらない生活を送り、適度なウォーキングをするかに尽きるでしょう。

2020.4.28

 

ご閲覧ありがとうございました。

よろしければ他の記事も覗いて行ってくださいね。 内装自作バンコン キャンピングカーと鉄道旅を中心に、夫婦での旅記録が主な内容です。 ランキングをポチッと押していただけると励みになりますので幸甚です。

にほんブログ村 旅行ブログ 車中泊の旅へ
にほんブログ村

にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへ
にほんブログ村

いつもありがとうございます!

歩行訓練/闘病記 〜コツコツと地味にやるのがリハビリや〜

にほんブログ村 旅行ブログ 車中泊の旅へ
にほんブログ村

にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへ
にほんブログ村

いつもありがとうございます!

f:id:acsekitori:20200427100502j:image

2020.4.27 リハビリ日誌

どうも、シバク・ドワレです。

もう早いもので術後4日目、リハビリを開始して3日目です。

昨日から歩行器を外してみて平行棒を持って歩く訓練をしたのち、病棟内の回廊を何も無しで歩く訓練が始まりました。

 

当初はバランスを保持するのに苦労しましたが、それも一瞬。

直ぐに昔を思い出し、ウォーキングできました。やはり私は歩き人。歩いてナンボです。

オペ前にあれほど痛かった腰から足が、自在に操れる快感よ。まだ無理は禁物ですし、負担がかかるにつれ腰痛が復活する可能性がありますが、まああまり深く考えずに、目前の課題だけをこなして行きます。

 

本日の午前中の課題は、完全独歩と階段昇降。

どちらもソツなくこなしてスピードも速いくらいで、安心しました。

もう大丈夫でしょう。

妻の休暇の関係で1日早い29日退院を希望したら、ドクターからも理学療法士からもノープロブレムのお墨付きをいただきました。

 

順調です。

2020.4.27

 

ご閲覧ありがとうございました。

よろしければ他の記事も覗いて行ってくださいね。 内装自作バンコン キャンピングカーと鉄道旅を中心に、夫婦での旅記録が主な内容です。 ランキングをポチッと押していただけると励みになりますので幸甚です。

にほんブログ村 旅行ブログ 車中泊の旅へ
にほんブログ村

にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへ
にほんブログ村

いつもありがとうございます!

リハビリ進捗具合/闘病記 〜スイスイと思うように歩けるうれしさ〜

にほんブログ村 旅行ブログ 車中泊の旅へ
にほんブログ村

にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへ
にほんブログ村

いつもありがとうございます!

f:id:acsekitori:20200425044121j:image

2020.4.25 歩行訓練

どうも、シバク・ドワレです。

朝まで寝られない術後の24時間である地獄の一夜を終え、昨日の朝7時には主治医である執刀医が来てくれて、座っても良いとの許可を得ました。

エコノミークラス症候群予防のために履くストッキングも脱いでよく、これ以上の開放感を私は知りません。

 

そして10時からは早速リハビリが始まり、まずは向かいにあるトイレに行けるかどうかの確認をして、可能ならオシッコの管を抜いてもらえます。

私は術前には、腰椎を切り開いて脊椎を削るんだから、しばらくは痛くて歩けないんだろうと思っていました。

 

しかし、なんということでしょう!

歩行器はもちろん介助に必要ですが、スックと立ち上がれるではないですか。なんか拍子抜けしました。

 

そして、約5mをそろそろとですが往復でき、無事に尿管の件はOK。続けて院内病棟の回廊を三周ほどクルクルと回りました。

これも、実にスムース。

理学療法士も看護師もビックリの回復具合です。

しかも、姿勢を変えたり歩いたりしたのが功を奏したのか、術後の痛みがゼロになり、先週まであんなに痛かった腰痛がゼロなんです。

なんか狐につままれているようでした。

 

私の基礎体力や回復力もあると思うのですが、執刀医のゴッドハンドに依るところ大だと思われます。

キレイな切り方だから、痛まないのでしょう。

本当に感謝です。

麻薬もほとんど飲まずに済み、これからの社会生活復帰に大いに励みが出ました。

 

みなさま、もう大丈夫です。

どうもご心配いただき、また励ましのお言葉をありがとうございました。

あ、もちろんオートバイなんてまだまだ先の話ですよ!コロナ自粛で買いにも行けませんしね!

iPhoneから書いています。

2020.4.25

 

ご閲覧ありがとうございました。

よろしければ他の記事も覗いて行ってくださいね。 内装自作バンコン キャンピングカーと鉄道旅を中心に、夫婦での旅記録が主な内容です。 ランキングをポチッと押していただけると励みになりますので幸甚です。

にほんブログ村 旅行ブログ 車中泊の旅へ
にほんブログ村

にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへ
にほんブログ村

いつもありがとうございます!

手術無事成功/闘病記 〜やれやれ、痛いのは生きてる証拠と言ってもらい〜

にほんブログ村 旅行ブログ 車中泊の旅へ
にほんブログ村

にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへ
にほんブログ村

いつもありがとうございます!

f:id:acsekitori:20200424000533j:image

2020.4.24 術後の経過

どうも、シバク・ドワレです。

腰部脊柱管狭窄症の手術が無事成功して、眠れない夜を過ごしています。

オペ場で

「終わりましたよ!」

と声かけされたら即目が覚めて、ぜんぜんボーッとしませんでした。良くその程度の麻酔でメスを入れて痛くないものだと、最新の医療技術に感心させられます。

 

部屋に帰ったら、即座に動かなかった足が上がることに気が付きました。やはり、脊柱管の狭窄症が悪さをしていたようです。

このまま治ればしめたもの。

今は術創が痛んでいますが、安いものです。

 

しかしいつもの麻薬を飲むことを許可されたのでいくらかはマシだと思うのですが、やはりメスを入れているのですから痛いです。

刃物で切られたような激痛では無く、腰がやたら重く痛い鈍痛がずっと続く感じ。寝返りはできるので随分とラクですが、熟睡はできません。

いつも飲んでいる眠剤全身麻酔の後は服用禁止なので尚更です。

 

23時頃にウトウトしかけたのですが、ナースちゃんが10分に一度くらい点滴やら背中のドレーンを点検に来ますのでその都度起こされ、目が覚めるともう寝られません。

まあ、明日からはリハビリが始まるくらいで眠たければ昼寝できますから、なんの心配も要りませんが。

と、気楽にブログなどをしたためています。別に早く寝ようと思わんとこ!

iPhoneから打っています。

2020.4.24

 

ご閲覧ありがとうございました。

よろしければ他の記事も覗いて行ってくださいね。 内装自作バンコン キャンピングカーと鉄道旅を中心に、夫婦での旅記録が主な内容です。 ランキングをポチッと押していただけると励みになりますので幸甚です。

にほんブログ村 旅行ブログ 車中泊の旅へ
にほんブログ村

にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへ
にほんブログ村

いつもありがとうございます!

手術のあらまし/闘病記 〜いたいのいたいのとんでけ〜

にほんブログ村 旅行ブログ 車中泊の旅へ
にほんブログ村

にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへ
にほんブログ村

いつもありがとうございます!

f:id:acsekitori:20200422133342j:image

2020.4.23 オペ概要

どうも、シバク・ドワレです。

今日は入院3日目で腰部のオペが控えていますが、まずは、はてなブログのコメントが打てない件。

iPhoneからは依然として無理なんですが、MacBook Airからしてみたらいけました。原因は不明ですが、定期的にはてなブログには苦しめられます。WordPressへの乗り換えも視野に入れています。

オペ後はMacBookをなかなか開けないと思いますので、もしコメントをいただきましても返事ができない事をご容赦ください。

 

本日昼からのオペになりました。

こんな緊急手術は初めての経験なんで、心の準備が整いません。昨日、同室者が先に手術を済ませて続々と帰室してきたのですが、口々に痛みを訴えるのを聞くと、なんとも嫌な気分になりました。個室にすればよかった!と思っても後の祭りですし、なんちゅうても開腹手術に比べたら屁ぇみたいなもんやろ、と思い込んで無理やり納得させています。

 

この病院でMRIとCTを新たに撮った所見では、椎間板ヘルニアではなくてその上の棘骨が鋭角に飛び出して、脊髄を圧迫しているそうです。

ですので、主な症状としては腰部脊柱管狭窄症、それに伴って軽度の腰部4/5椎間板ヘルニアがある、との事。

手術はその飛び出している棘骨を削って脊柱管を広げる術式を行い、開けてみて必要であれば金属プレートで固定する方法を取るが、現状ではその手前の手術で済みそうとの所見。手術の大変さがワンランクアップしてしまいました。

 

なんにせよ痛そうなオペに変わりはありません。しかし、治ってオートバイに乗ったりスキーを滑ることを夢見て頑張ります。

どうか切開創が痛みませんように!

2020.4.23

 

ご閲覧ありがとうございました。

よろしければ他の記事も覗いて行ってくださいね。 内装自作バンコン キャンピングカーと鉄道旅を中心に、夫婦での旅記録が主な内容です。 ランキングをポチッと押していただけると励みになりますので幸甚です。

にほんブログ村 旅行ブログ 車中泊の旅へ
にほんブログ村

にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへ
にほんブログ村

いつもありがとうございます!

緊急告知・コメントが打てない/ブログ 〜せっかくいただいたのに〜

にほんブログ村 旅行ブログ 車中泊の旅へ
にほんブログ村

にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへ
にほんブログ村

いつもありがとうございます!

f:id:acsekitori:20200422002852j:image

2020.4.22 お知らせ

どうも、シバク・ドワレです。

せっかくコメントをいただき、有り難いのですがはてなブログにバグが出たようで、コメントを打つことができません。

自分へのコメント返しだけではなく、どなたへの新規コメントも打てない状態です。

 

業務連絡、業務連絡!

North Foxさん、陸のヤドカリさん、コメントありがとうございます。オペは希望していたことですし、削ってもらえたら痛みもなくなり、快調に治ればオートバイにも乗れるかもしれないので楽しみです。

今はコロナやから新規受付も難しく、またオペ待ちが凄いのに知り合いの紹介なのですんなり緊急オペをしてくれてラッキーです。

2020.4.22

 

ご閲覧ありがとうございました。

よろしければ他の記事も覗いて行ってくださいね。 内装自作バンコン キャンピングカーと鉄道旅を中心に、夫婦での旅記録が主な内容です。 ランキングをポチッと押していただけると励みになりますので幸甚です。

にほんブログ村 旅行ブログ 車中泊の旅へ
にほんブログ村

にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへ
にほんブログ村

いつもありがとうございます!

スポンサーリンク

スポンサーリンク